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第268話 Boy meets boy(8)
だって和樹だ。本人は二流だなんだと卑下した言い方をするけれど、地方在住の俺だって名前を聞けば知っているレベルの大学で、和樹が言うほど悪いものではないと思う。それに、和樹は意外と「義務」はきちんと果たすタイプだ。部屋の掃除は怠けても、大学をサボって留年する、なんてことにはならないだろう。それに何より、あのルックスと、社交性。あれがあれば、面接で落とされることにはなるまい。学閥にものを言わせて大学名でフィルターにかけるような企業は無理でも、そうでない会社なら、そう悪くないどこかには入れる気がするのだけれど、それは俺が世間知らずなだけなんだろうか……。
涼矢はこの日も和樹と電話で話したが、哲のバイトのことは言い出せなかった。表面的には、まだ確定していないことだから決まってから伝えたほうがいいと判断したから、というのが理由ではある。でも、それだけではなかった。涼矢はある種の後ろめたさを感じていたのだ。
涼矢の、大学の友人。和樹にとって、哲はそのポジションにいたはずだ。いろいろ込み入った話に巻き込まれはしたけれど、ひとたび大学を卒業したなら、そのまま疎遠になるかもしれない、その程度の「友達」。和樹と哲は、面識もできたし、連絡先だって交換したけれど、実際問題、涼矢をスルーして2人で会ったり遊んだりすることはないだろう。和樹が哲の動向や様子に興味を持つのだって、哲本人と親しくなりたいからではない。涼矢に関わる人物だから気になるだけで、涼矢と縁が切れれば殊更に追いかけることもしないだろう。
しかし、だ。
母親の古い友人、アリス。宏樹は有栖川さんと呼んでいた。和樹の知らない、でも、周辺の人は知っているその人の店に、哲を紹介する。そして働くとなると、それは和樹と涼矢の関係の中に、哲を更に深く踏み込ませるような気がしたのだ。そうなったら、卒業したところで哲との縁は切れなくなる。宏樹が涼矢に話しかける話題の中に、「和樹はどうしてる?」だけでなく「哲は元気にしてる?」といった言葉が出てくるようになるかもしれない。それどころか、宏樹のほうから「今有栖川さんの店にいるんだ、哲くんもいるから、ご飯食べにおいでよ。」などと誘われてしまうことだってあるかもしれない。そんな出来事を和樹に伝えるのも、また伝えないでいることも、なんだか気が重い。
今からこんなことを想像して滅入るなんて無意味だし、そう思うなら紹介しなければよかったんだ。頭では分かっていたが、哲をなんとかしてやりたいのも本心で、その本心を和樹は喜んで応援してくれそうなことも分かっているだけに、考えが先に進まない。それに、何はともあれ、もう言ってしまったのだ。後戻りはできない。
――いっそ哲がここでは働きたくないと断ってくれりゃいいのに。
最後にはそんな自分勝手な思いに陥って自己嫌悪する。涼矢はこの件について考えるのを意図的に避けることにした。
そして3日後の夕方。講義の終わり時間がまちまちだったから、店に最も近い駅、ということは涼矢の自宅の最寄駅でもある駅の前で待ち合わせをした。約束の時間に誰も遅れることなく、涼矢と哲と千佳が揃った。千佳が「響子がいたら、30分は待たされるところだよ。」と言った。
「そうなの?」涼矢がそう尋ね、返事を聞く前に歩き出すと、2人もついて歩いた。
「響子、遅刻魔なの。だから私、いつも本屋さんとかカフェとかで待ち合わせしてる。他の子もいる時には、響子にだけは30分早く伝えたりするの。それでギリギリかどうかってところ。一番ひどかった時は2時間待たされたわ。」
「2時間待つほうもどうかと思うけど。」涼矢が言った。
「だって、遊園地に行く約束してて、響子が全員分の入園券持ってたんだもの。」
「ひでぇ。」と哲が笑いながら言った。
「もっと腹立つのは、それがバイトや講義やテストだと間に合わせるってところなんだよね。私たちのレポートの打ち合わせの時には、ちゃんと来てたでしょ?」
「デートは?」と哲が言った。
「それは知らないけど、彼氏、超優しいからねえ、遅れても怒らないんじゃない? あ、それにデートって言っても、ほとんど彼氏の部屋で会ってるみたいだから、待つのが苦にならないのかも。」
「一人暮らしなんだ、彼?」
「うん。響子は実家だけど。」
「響子の顔見ると許せちゃうとこもあるよな。」哲が言った。「癒し系じゃん、彼女。」
「そうそう、そうなの。私も、待たされている間は超ムカつくんだけど、響子にあの顔で『ごめんごめん』なんて言われちゃうと、つい、『いいよいいよ』ってなっちゃう。高校の時からそれだから、結局あの子も変わらないんだよねえ。」
「おまえんとこは、そういうケンカってすんの?」突然、哲が涼矢に話を振ってきた。千佳も涼矢に彼氏がいることは知っている。はっきり説明したわけではないが、哲が時折雑談の中に紛れ込ませてくるからだ。響子の彼氏についても、哲に恋人が出来たりまた別れたりといったことも同様で、それぞれの恋愛事情は、自然な会話の中でそれとなく情報共有している状況だった。千佳は目下フリーのようだ。
「しない。俺もあっちも時間は守るほうだし。」
「いや、遅刻のことだけじゃなくてさ。ケンカ自体、することあるの?」
「あんまりしねえな。おまえが引っ掻き回さない限りは。」
千佳が吹き出し、哲がムッとした。「俺、何もしてねえじゃんよ。楽しく焼肉食ったりとかさ。」
「哲ちゃん、涼矢くんの彼と焼肉食べたことあるんだ?」東京での出来事については、さすがに哲も涼矢も詳しくは話していない。
「そうなんだわ。まあその時の田崎ったら、甲斐甲斐しく彼氏の分まで肉焼いてあげてさあ。焦げたやつは自分が食べて、美味しそうなところは彼氏にあげて、すっげえ優しいの。」
「わあ、そんなデレデレしてる涼矢くん、見てみたい。」
「デレデレはしてない。……と思う。」涼矢は言う。
「してるね。」哲が張り切って言う。「笑ったりとかはそんなしないけどさ、明らかに違うもんね、こう、発するオーラが。ピンク色のキラキラしたものがねえ、田崎の周りに……。」
「黙れ。」
「俺が彼氏に変なジョーク言おうもんなら、すげえ剣幕で怒るし、なあ?」
「おまえ、金稼ぎたくねえの? 紹介しないよ?」
「あっ、すみません、田崎さん。今のは全部ウソです。」
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