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第276話 non-alcoholic(2)
「ウォッカにリキュール?」と涼矢は非難の声を上げた。涼矢はバーテンダーに哲は未成年だと説明しようとして、既にそのバーテンダーも、更にはアリスも少々呆れた顔をしていることに気付いた。バーテンダーに至っては睨みつけるような視線を哲に送っている。彼らも未成年であることは知っていたのか。だが、客商売に慣れているはずの彼らが、そこまで露骨に不快な顔をするとなると、それだけに留まらない問題が哲のオーダーには込められているようだ。そして、それが分からないのは涼矢だけらしい。
「私が作りますよ。」睨む目とは裏腹に、穏やかで丁寧な口調でバーテンダーが言った。
哲は瓶を選ぶ彼の手の先を見つめながら、途中で苦笑いした。「そう来たか。」
バーテンダーは無言のうちにシェーカーを振る。「どうぞ。」哲のところにはテーブルはないから、グラスは手渡しだった。「セーフ・セックス・オン・ザ・ビーチ。」
「セーフ・セックスね。」哲が笑った。
「当たり前だ、うちの店は大人にしか酒は出さない。今までの店がどうだったかは知らないが。」バーテンダーが言う。それから別の客がオーダーしたそうにしているのを察して、すぐにそちらの対応に戻った。
哲は立ち上がって、カウンター越しに涼矢と向きあい、目線を合わせる。「仕事のあっせん、ありがとう。頑張るよ。乾杯。」
「乾杯。」涼矢もそれに付き合い、哲とグラスを合わせた。「それ、何なの。」
「セックス・オン・ザ・ビーチってカクテルの、ノンアルバージョン。」
「ああ、それで。セーフ……。」
「そうそう。おまえは随分可愛らしいの飲んでるな。」
「コンクラーベだって。」
「知ってる。レシピは結構覚えたんだ、前の店で。隣でずっと見てたから。」
「酒、飲んでたの?」
「飲んでねえよ。……営業中はね。最近は未成年の飲酒、取り締まり厳しいもん。」
「時間外は?」
「さあね。店長は飲んでたよ。客に飲ませるより自分が飲んでるほうが多いんじゃないかってぐらい。いくら酒強いったってね、それだけ飲んでりゃおかしくもなる。殴ったことすら覚えてないんだから、無理やり飲ませたことなんか覚えてるわけない。」
「ここでその話するなよ。」カウンターには1人だけとはいえ他の客もいて、涼矢とは反対側の端の席だから会話は聞こえないと思うが、念のためごく小声で話していた。それでも、アリスやバーテンダーは耳聡く聞いていることだろう。
「アリスさんには話したよ、前の店を辞めた経緯は、だいたい全部。」
「マジか。」涼矢はアリスのことをチラリと見た。
「ああ。」哲はカクテルを飲み干すと、そのグラスを持ったまま厨房に戻った。「ごちそうさまでした。戻ります。」アリスに軽く頭を下げる。
アリスは哲が持ち場に戻ったのを見届けると、再び涼矢のすぐ前に来た。「涼矢くんに気を使ってるのよ、あの子。」
「え?」
「前のお店を辞めた経緯を隠して、後でトラブルにでもなったら、ここを紹介してくれた涼矢くんにまで迷惑かかるから。」
「そんなこと言ってたんですか?」
「言ってたわけじゃないわ。私がそう思っただけ。でも当たってると思う。」
「……。」アリスが言うならそうなのだろうと、涼矢も思う。
「良い子だわ。」
「良い奴だけど、ダメ人間だから。」
「そんなことないわ。」
「やっていけそうですか。」
「充分よ。器用だし、機転も利くし。こういう商売に向いてるんじゃないかしら。」
「弁護士志望ですよ。」
「あらま。もったいない。引き抜いちゃおうかな。」
「だめです。あいつは俺と一緒に司法試験目指すんです。」
「まあ、彼氏が聞いたらジェラシー感じちゃうセリフね。」
涼矢は言葉に詰まった。その様子を見て、アリスが笑う。
「からかわないでください。俺、ついさっきやらかしたばかりで。」
「あらあら。」
「電話して、哲のことを車で送るって話、正直にしちゃって。口では怒ってないって言ってたけど、絶対すげえ怒ってる……。」涼矢は頭を抱えた。
「あらやだ。ゲンちゃん、私、ちゃんとノンアルで作ったわよね?」アリスはバーテンダーに向かってそんなことを言った。
「さあ、自分で作ったものにしか責任は持てません。」ゲンちゃんと呼ばれた男は、グラスを磨きあげながら、無愛想にそう答えた。
「大丈夫です、ノンアルでした。」涼矢が言った。「こんななってんのは、カクテルのせいじゃないです。」
生真面目にそう答える涼矢を見て、アリスは吹き出すのをなんとかこらえた。「怒ってもらえるうちが花よ。どうでもいいなら怒りゃしないんだから。」
「そうですかね。」
「そうよ。」
「これ絶対、おふくろに言わないでくださいよ。」
「言わないわよ、客商売の鉄則よ。」
「はあ。」
「今日はもうすぐお店を閉めるわ。そしたら、哲くんと軽く食べて、帰んなさい。」
「はい。」
それからしばらくして最後の客が店を出て行くと、アリスやバーテンダーが一斉に動き出し、片付けを始めた。手持無沙汰の涼矢も手伝おうとしたが、アリスに止められる。
「哲くん。上がっていいわよ。こっちで涼矢くんとごはん食べて。」
「あ、でも、あと少し残ってて。」哲の声だけが聞こえた。
「それだけでしょ。そこまででいいから。」
哲が厨房から出てきた時には、両手にオムライスの皿が乗っていた。哲はそのひとつを涼矢の前に置き、もうひとつをその隣に置いて、自分もまた涼矢の隣に座った。
「俺は焼きそば食べちゃったけど……。」涼矢が言うと、アリスはいいからいいから、という素振りをした。別に食べられない量ではない。
「いっただっきまぁす。」歌うようにそう言って、哲は食べ始めた。「うまっ。超うまっ。セイさーん、これ超美味しいです。」厨房に向かって大声で言う。
バーテンダーはゲンちゃん。シェフはセイさん。そのぐらいなら人の名前を覚えるのが苦手な涼矢でも覚えられそうだ。アリスの息子の名前はまだ知らない。知らなければならないというわけでもないので、哲に確認するのはやめた。
「お疲れ。」涼矢は哲にねぎらいの言葉をかけた。
「うん。とりあえず食わせて。」哲はガツガツと勢いよくオムライスを食べた。犬食いに近い食べっぷりだ。普段ならそんな行儀の悪い食べ方をしたらたしなめるところだが、また今日もろくなものを食ってないんだろうから、と大目に見た。
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