277 / 1020

第277話 non-alcoholic(3)

 それにしてもすごい勢いなのを目のあたりにして、涼矢は思わず言った。「俺、先に焼きそば食ったしさ、これも食うか?」 「食う。でも半分で良い。」 「分かった。」涼矢はまだ口をつけていないスプーンで、オムライスをきれいに2等分した。トロリとした玉子がチキンライスの断面に流れた。和樹の家で自分が作ったオムライスも、こんな風に「ふわとろ系」だった。そのことを思い出した瞬間に、その時の記憶が連鎖して蘇ってきた。お互いに「はい、あーん」と食べさせあったこと。和樹にエロ顔で食えと言われたこと。口の端からこぼれおちる半熟玉子の感触。その後の、キッチンでの激しいセックス。調理台に座らせた和樹の、大きく開いた長い脚。その間のものを咥えて、舐った。そのまま挿れてほしいと請われて、そうした。  涼矢は、目の前にあるオムライスの左半分を食べながら、股間が熱くなるのを感じた。隣には勘の良い哲。なんとか気を紛らわせる手段を考えねばなるまい。 「アリスさん。」涼矢はアリスを呼んだ。アリスは2人の会話を邪魔しないようにと少し離れたところにいて、そのままの位置で小首をかしげた。「言い忘れてましたけど、こいつも、大食いなんです。」 「あらそう。分かったわ。賄いは大盛りにするわね。」  自分のことを話していると言うのに、哲は脇目も振らずにオムライスに夢中だ。あっという間に平らげて、涼矢の前の皿と自分の空いた皿を交換した。引き続き勢いよく食べる。その旺盛な食欲は、涼矢をげんなりさせることに多少役に立った。すべてを食べ終えると、哲が言った。 「アリスさん。大盛りは歓迎なんですけど、その分、時給が下がったりしないですよね。」 「そんなケチくさいこと、しないわよ。」アリスはわざとらしく顔を歪めた。「あと、店長よ、店長。もう、うちのスタッフなんだから。」 「あんまり良い思い出がないんですよね、店長って呼び方に。」 「私を店長って呼んでいれば、そのうち良い呼び方に思えてくるわよ。」 「ああ、なるほど、それもそうですね。よろしくお願いします、店長。」哲はニコニコと愛想よく振る舞う。自分には到底できない芸当だ、と涼矢は思う。  哲のそんなセリフにアリスはさぞかし機嫌よくなっているかと思えば、そうでもない。いつの間にか用意していたらしい封筒を、真顔でついっと哲に差し出す。「これ、今日の分。次は来週だったわよね。その時には口座の登録もできてるはずだから、次回以降はお給料日に振り込むわ。」 「はい。ありがとうございます。」  それから見慣れた笑顔になって、言った。「そうそう、食洗機もその時には直ってるだろうから、次からはホールをお願いするわね。今日は急に頼んじゃって悪かったわ。助かった。」 「これも洗っていきます。」哲は涼矢と自分の皿を重ねて、立ち上がった。 「いいわよ。後はムサシがやるから。涼矢くんの帰りも遅くなっちゃうし。そのままにして、帰っていいわよ。ね。」ムサシ、というのがアリスの息子の名前だろう。    哲はチラッと涼矢を見て、再びアリスを見た。「じゃあ、そうさせてもらいます。お疲れさまでした。これから、よろしくお願いします。」アリスとバーテンダーそれぞれにお辞儀をする哲につられて、涼矢も軽く頭を下げた。 「はい、お疲れさま。またよろしくね。」  哲は厨房にも寄って、シェフとムサシにも挨拶をしてから、涼矢と一緒に店を出て、車に向かった。 「お、BМ。」哲が口笛をヒュッと鳴らした。  左ハンドルだから助手席には車道側から乗らないといけない。そちらに向かおうとした哲を、涼矢は止める。「後ろ乗って。」 「なんで。しゃべりづらいじゃん。」 「助手席はだめ。」 「ああ、そういうこと。」哲は素直に後部座席に乗った。「千佳も後ろの席だった?」 「そうだよ。」車が動き出す。 「へえ。」哲はニヤニヤと笑った。 「住所言って。」涼矢はナビの設定をしようとしている。 「おまえんちでいいよ。ここから近いんだろ。泊めてよ。」 「やだよ、助手席すら嫌だって言ってるのに、泊めるか。」 「何もしないから。つか、実家だろ。親もいるんだろ。」 「何かされてたまるかよ。いいから住所言えよ。」 「教えなぁい。」哲はわざとらしい声色で言う。  テキストに殴り書きされた住所をなんとなく覚えているから、おおまかな方向は分かる。とりあえずそちらへ向けて走っていた。だが、馴染みのない方面で、細かい町名や番地までは覚えていない。本当に黙ったままの哲に苛立ちを覚えて、涼矢はいささか荒っぽくブレーキをかけた。「哲。」 「なあ、本当にダメ?」 「ダメに決まってるだろ。」 「今日のバイト代、半分やるからさ。」  そう言われて、涼矢はハッとした。飲食代をアリスに払っていない。千佳はアリスの奢りということになったが、自分は払うつもりでいた。哲の給料から引いてくれ、というのは当然冗談だ。「それ、ちゃんとした金額入ってるか?」 「え? ちょっと待って。」哲は封筒の中を確かめる。小銭はないらしい。「多めに入ってるな。」  多めか。だったらやはり、「哲の給料から天引き」を本気にされたわけではないのだ。「俺、ただ食いしちゃった。」涼矢は言った。 「紹介料だと思っておけばいいんじゃないの。」 「そういうわけには……まぁ、いいか。おふくろのツケってことで。」 「そっか、あの店、おまえのお母さんも来るんだよな。楽しみだな。」 「馴れ馴れしくするなよ。」 「だったら、店で顔を会わせるより、今のうちに親交を深めておいた方がいいかもよ? おまえも、自分がいる場の初対面のほうが安心じゃね? あの店、元はお母さんの知り合いなんだろ? お母さんにもお礼も言いたいし。」 「……。」言い返せない。だが、嫌だ。そう思った瞬間、そのまま「嫌だ。」と口をついて出た。 「嫌だって、なんだそりゃ。変なことは言わないよ。良い子にするからさ。」  良い子。アリスは哲のことを良い子だと言っていた。確かに哲は態度も口も悪い時が多いが、意図的に人を傷つけるようなことはしない。哲が傷つけるのは――いつも、自分自身だ。

ともだちにシェアしよう!