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第279話 non-alcoholic(5)
部屋に入る前に、廊下のつきあたりにあるウォークインクローゼットに入る。洋服よりは、季節用品を収納するための納戸のような状態になっている。そこに客用の布団を置いていた。涼矢はそれを指して、持ってこいと哲に指示をした。自分は手ぶらで自室のドアを開け、哲を待った。布団を収納袋ごと担いだ哲は、ふうふう言いながら、涼矢の部屋にそれを運び入れた。
「ここが田崎の部屋?」
「ああ。勝手にいじるんじゃねえぞ。」
「見られちゃまずいもんでもあるんですか。」
「あるに決まってんだろ。」
「ふうん。」哲はニヤニヤしながら布団を敷く。
一方の涼矢は適当な着替えを出して、床に置いた。「風呂、つか、シャワーしてこい。さっきの、おふくろがいた部屋の奥だから。分かんなかったらおふくろに聞け。」
「1日ぐらいシャワーしなくても平気。」
「おまえが平気でも俺が嫌だ。汚れた体で布団に入るな。」
「俺が都倉くんだったら?」
「良い匂いだっつって、押し倒してる。」
「へっ。」哲は布団を敷き終えると、着替えを持って下に降りて行った。
部屋に残った涼矢は、ベッドに腰掛けて、うなだれる。最悪だ、とまた頭を抱えた。車で送るとは話した。このままその嘘をつき通すか。正直に泊めたことまで話すか。つき通せる嘘ならそのほうがいい。でも、和樹に嘘はつけない。告白する前の自分なら、和樹に嘘をつくことなんて当たり前にしてきたけれど。今は無理だ。何も言わなくたって、いつか必ずバレるに違いない。
それと、哲が戻ってきたら、入れ替わりで自分もシャワーを浴びたい。だが、哲をこの部屋に1人にしたくない。さっきはああ言ったが、見られてまずいものはない。ないけれど、たとえば高校の卒業アルバムだって、見られたくないと言えば見られたくない。涼矢は自分の着替えを取り出すと、階下に降りた。佐江子はグラスを洗っていた。さっきは晩酌しながらテレビを見ていたようだった。
「もう、寝る?」涼矢は佐江子に問うた。
「うん。だから、いいよ、この部屋使っても。」どうやら哲の来訪を気遣って、自分は晩酌を切り上げて寝室にひっこもうとしていたらしい。
「できれば、まだここにいてほしいんだけど。」
「え?」
「俺が風呂入ってる間、あいつを俺の部屋に1人にしたくないんだ。」
「……そうなの? まさか手癖でも悪いの?」
「ある意味、そう。」
「ふうん。あなたがそんな子を連れてくるとは思えないけど。バイトの紹介までしてあげた友達なんでしょ?」
「連れてきたくて連れてきたわけじゃない。」
「で、私に相手しろって?」
「そう。難解な判例の話でも吹っかけてやってよ。喜ぶから。」
「お酒がまずくなりそう。」
「飲み過ぎなくていいだろ。」
そんな会話をしているうちに、哲が出てきた。「さっぱりした。」
「なんか飲む? 麦茶ぐらいしかないけど。」涼矢が言った。
「同じ年?」佐江子が涼矢と哲を交互に指差した。涼矢がうなずくと「じゃあ、まだ飲めないか。」と佐江子が言った。佐江子は水割を飲んでいたグラスを洗ってしまったせいか、今は缶ビールを直に飲んでいた。
「飲もうと思えば」哲が佐江子にそう言いかけた時、涼矢は哲の胸を小突いて続きを言わせなかった。
「余計なこと言うなよ。」涼矢は麦茶を注いだコップをテーブルに置いた。「俺も風呂。哲はそこで適当に講義でも受けてて。」
「講義?」
涼矢は無言でバスルームに向かった。服を脱ぎながら、そう言えば哲には母親が弁護士だとは教えていなかったかもしれない、と思った。
シャワーもドライヤーもいつもより手短に済ませて、涼矢は再びリビングに戻る。2人は真剣な顔で話しこんでいた。涼矢は何も言わずに自分も冷蔵庫から麦茶を出して飲んだ。
「俺、寝るけど。」涼矢は2人に言った。
「ああ、じゃ俺も。」哲が立ち上がる。「すみません、遅くまでつきあわせちゃって。」
「いえいえ。私もおもしろかった。」
「おやすみなさい。」
自分の部屋に入ると、涼矢はさっさとベッドに上がった。「電気消すぞ。」照明のリモコンはベッドの枕もとにある。
「一番ちっちゃいの、つけといてね。」
「真っ暗なほうがいいんだけど。」
「俺、真っ暗、無理。」
涼矢は仕方ないと言いたそうなため息をついて、一番小さな明かりを残して電気を消した。
「おやすみ。」涼矢は素っ気なくそう言うと、哲の側に背を向ける形で、横向きになって目をつぶった。
それに返すにしては妙に間が空いてから、哲が言った。
「さっきは、悪かったな。」
「何の話。」
「俺の育ちが悪いことと、おまえがそうじゃないことは関係ないのに、あんな言い方した。」
「……ああ。別にいいよ。つか、そこ謝るなら、図々しく泊まらせろと言ったことを謝れよ。」
哲はくすくすと笑った。「おやすみ。今日はありがと、りょうちん。」
「殴るぞ。」
「いいよ。」
「……いいから寝ろ。」
「本当にいいんだけど。殴ろうが蹴ろうが。セックスしないなら、その代わりに、そういうのでも。」
「おまえはそういうのが好きなの?」
「好きじゃない。でも、平気だし。田崎とは貸し借り作りたくないし。」
「貸し借りって何?」
「バイト紹介してもらったし、車で送ってもらったし、泊めてもらったし。」
「そんなの貸し借りに入んねえよ。」
「オムライス半分もらったし、他にもいろいろ。俺、田崎に借りばっかある。」
涼矢は方向転換をして、布団の哲のほうを見た。「さっきから何言ってんだ、おまえ。」
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