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第280話 non-alcoholic(6)

「本当は嫌だったんだろ? 俺なんか泊めるのも、バイト先紹介するのも。」 「そうだな。んで、嫌だってはっきり言ったよな。けど、とにかく、最終的には俺がそうするって決めたんだから、借りとか言うな。」 「俺がかわいそうだから?」 「おまえをかわいそうだと思ったことは一度もない。」 「さっきの話聞いて気が変わったんだろ? 傷、見ただろ? 父親の話も、しただろ?」 「……訂正する。かわいそうだとは思った。思う部分もある。でも、かわいそうだから、なんとかしてやろうと思ってるわけじゃない。」 「じゃあ、なんで優しくすんの。友達だからとか言うなよ? 田崎が俺のこと友達だなんて思ってないことぐらい、知ってる。」 「だったら、そんな奴の家に泊めてもらおうとすんなよ、あつかましい。つか、友達だと思ってるけど、俺は。」 「本当に?」 「ああ。」涼矢は深呼吸をした。「だから、いいか、今から、妙なことは一言も言うな。俺を変な目で見るな。同情を引こうともするな。俺がおまえを構うのは、おまえが優秀だからだ。ゲイ仲間だからでもないし、不幸な生い立ちをかわいそうがってるからでもない。おまえの能力を無駄にしたくないし、おまえを目標にしているからだ。学力的な意味限定だけどな。」 「よくしゃべるな、今日は。」 「二度と言いたくないから、全部言っておく。一度言えば分かるだろ、おまえは。」 「……。」哲は布団から顔だけのぞかせて、涼矢を見た。薄暗い中だが、もう目も慣れて、目が合っているのが涼矢にも分かる。 「俺はおまえとセックスしないし、おまえを殴ったりもしない。だから、今は黙って寝て、明日はちゃんと学校に行ってくれ。朝飯は食わせるし、大学までの交通費ぐらい出してやる。だからちゃんと真面目に……。」  その時だ。ふわりと布団が浮いたと思ったら、哲がそこから飛び出してきた。ベッドのすぐ脇に来て、涼矢に抱きついてきた。 「分かんないんだって。そんなこと言われたって、分かんない。」 「今の話、聞いてたかよ。」突然の出来事に涼矢は本格的に焦った。哲が、友達同士で肩を組むのとは違う触り方をしてくることは、今までもあった。特に知り合った当初は多かった。だが、和樹にも伝えた通り、根気よくやめてくれと、時に暴力的な方法も交えて伝えてきた結果、最近は、そんなこともしなくなっていた。さっきの車中の、触れたかどうか微妙な耳たぶへの接触が久しぶりなほどだ。ましてやこんな風にあからさまに抱きつくようなことは初めてだった。いつもなら勢いよく押し返すところだが、ベッドに横になっていたことと、あまりにも急で、そして力強いハグで、とっさに身動きが出来なかった。 「だめ?」 「な、何が。」 「俺じゃ勃たない?」 「だからっ……。」涼矢はようやく哲の両肩を押して、引き剥がそうとした。だが、思いのほか哲の力が強く、離れない。「よせよ。怒るぞ。」 「もう怒ってるじゃん。怒っててもいいけど。」哲がそのまま全身で涼矢の上に覆いかぶさってきた。「俺が嫌なら、目をつぶっていればいいだろ。都倉くんだと思ってていいよ。和樹って呼んでいいよ。」上から涼矢の両腕を抑え込み、顔を近づけてきた。涼矢は顔を横に向けて、必死によけた。「キスは嫌? じゃあ、しない。下だけで済ませる。」 「馬鹿、やめろ。」本気を出せば、自分より小柄で非力な哲など、跳ね返せることは分かっていた。だが、抱きついた時にめくりあがった袖から見える傷が、そういった力技を使うことをためらわせた。 「俺が全部、勝手にやる。俺のせいにしていい。おまえは何も悪くない。だから、いいだろ?」哲の手が、股間に触れてきたのを感じた。 「哲。」涼矢は股間に伸びる哲の手首を握り、ひねりあげた。「やめてくれ。お願いだから。」  哲の動きが止まった。そして、涼矢にまたがったまま、両手で顔を覆うと、急に泣き出した。「なんで、だめなんだよ。そこまで嫌われてんの、俺?」  涼矢は何も言えなくなる。どうしていいか分からなかった。こんな風に急変する哲を見たことはなかった。倉田に別れを告げた、あの日の新幹線でさえも、こんなに激しく感情を露わにはしなかった。千佳たちの前の愛想良さも、自分や和樹の前の露悪的な態度も、どちらも彼の素顔ではないとは思っていたけれど、では、今目の前で泣きじゃくる、この姿が「哲の素顔」なのかと言うと、それも疑わしかった。  ただ、いつものニコニコとした"仮面"よりは奥にある顔なのだろうと思った。彼の内面に一歩踏み込んだ者だけが見られる顔。それをさらけだした哲を拒んだら、舌でも噛むんじゃないかと、そんなことすら考えてしまう。それはもはや暴力よりも性質の悪い脅しだと思うけれど、今、目の前で、いや、自分の上で泣き顔を晒す哲を、力づくで排除するのも、理詰めで追い詰めるのも得策とは思えなかった。  涼矢は哲の腰をつかむと、なるべく哲の心身を刺激しないように、自分の上から降ろした。哲はそれに素直に従い、涼矢の脇に横滑りするように座った。涼矢は上半身を起こし、哲と向き合った。 「だめだよ。俺はそういうの、相手できない。」 「……。」哲はまだ泣いていた。 「おまえのことは嫌いじゃない。でも、そういうことはしない。何度も言ってるよな?」  哲はうなずいた。こどものようだ。 「なんでこんなことする?」

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