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第286話 ながめせしまに(2)

 驚いて茫然としている和樹に、早坂は言った。 「ここだけの話ですよ。他に知っているのは、当人たちと菊池さんぐらいです。」  そう言われて、やはり今聞いたことは聞き間違いでもなんでもなく「そういうこと」なのかと再認識して、それでも、信じきれずにいた。そして、それが周知の事実でもないらしいことに気付いて、早坂に尋ねた。 「あの、他の、非常勤の先生方は知らないということですか?」 「知りません。」 「俺だけ、ですか。」和樹は少々不安に思う。そんな極秘情報を教えてもらえるのは、よほどの信頼を得ているからか、反対に何か問題を起こせば簡単に切り捨てられるバイト風情だからのどちらかだろう。どう考えても前者とは思えない。……いや、もうひとつ、考えられる可能性はある。俺も同性愛者とバレている……? そんな風に見えてるのか……?  そう思うと、胸がキュッと苦しくなった。バレている、という言葉が自分の脳裏に浮かんだこともショックだった。そうだ、自分は早坂に「隠して」いた。もちろん、他の講師たちにも、菊池にも。彼女はいるのか?と囃したてる生徒たちにも、そうと悟られないように振る舞ってきた。きっと小嶋先生と久家先生がそうしてきたように、だ。和樹は振り出しの疑問に戻った。――何故他の講師たちには内密にしていることを、早坂はよりによって自分だけには話したのか?  自分のショックを消化しきれないうちに早坂が言った。「秘密を守ると思うといささか気疲れするものでしょうが、今まで通りにしていただければ、問題ありません。」 「……俺に話してくれたのは、なんでですか?」和樹は直接そう尋ねた。早坂はそういう質問を嫌がらない気がした。 「これと言った理由はありませんが、そうですね、強いて言うなら都倉先生は幸せそうに見えたからです。」 「はい?」予想もしなかった返答に和樹は妙な裏声を出してしまった。 「都倉先生は、既に心に決めたお相手がいらっしゃるのでは?」 「……あ、はあ、まあ。」 「プライベートなことを聞き出す気はありませんがね。こういった仕事をしていると、出会いというものがないんですよ。勤務時間が一般的な仕事の方とずれていますし、毎日顔を会わせるのはこどもかその親御さんだけでしょう。学生時代や前職で相手を見つけておかないことには、なかなか恋愛の機会がない。そうした理由で、非常勤の方々はみなさんお淋しい。その状況で、小嶋と久家が夫婦ですと言っても、たとえ偏見のない方であっても受け容れがたい心境になるだろうと推測しているのです。そういった動揺は得てしてこどもは敏感に感じ取るものでして、それはやはりどうしたって避けたいのです。その点で、都倉先生はプライベートが充実しているようにお見受けしましたので、誰が誰とつきあおうと、良い意味で興味関心も持たずに冷静に対応していただけるかと思いました。」 「そう、ですか。」要は、俺はバカップルで脳内お花畑っぽいから、他人が誰とつきあおうと気にしないだろうと思われているのだ、と和樹は解釈する。  早坂は続けて聞いてきた。「これは悪い意味の興味だけでうかがうので、言いたくなければ答えなくていいのですが、お相手とは結婚も視野に入れているんですか?」 「ええと、まあ、はい。いつかはってレベルで。」俺らも久家先生たちと同じです、とは言い出せなかった。 「真剣におつきあいなさっているというわけですね。もっとも、都倉先生はまだ学生ですし、よく考えたらよろしいかと思います。」 「はい。教室長も、学生時代からつきあって、結婚したんですか? あ、あの、言いたくなければ、いいんですけど。」 「私はお見合いです。」  お見合い。ああ、そういう方法もあったな、と和樹は思った。自分の親をはじめ、お見合いで結婚した実例を知らないので縁遠い言葉だった。 「若い人には抵抗があるかもしれませんが、悪くないですよ、お見合いも。知り合うきっかけがそれだというだけで、そこから恋愛を始めることはできますから。親の反対や相手の収入などを気にする必要がないので、むしろ効率よく恋愛に集中できます。」そう講釈をたれる早坂だが、感情の起伏のなさそうな彼には、およそ「恋愛」なんて言葉は不釣り合いに思えてしまう和樹だった。 「一理ありますねえ。」菊池が言った。菊池の席からだと、和樹たちのいるロッカーは背中側にあたる上に、間には間仕切り代わりのキャビネットもあるが、今の会話は全部聞いていたらしい。「私もお見合いにすれば良かったと思いますもの。結婚してから話が違うってことがたーくさんあって、騙された気分です。ま、ダンナもそう思ってるでしょうけどね。」菊池は、ふう、とため息をついた。それから和樹たちを振り返り、キャビネットと壁の隙間から和樹を見た。「あら、都倉先生、お似合いですよ、そのスーツ。モデルさんみたいです。」 「あ。」そもそもその話だったことを思い出した。「じゃあ、これ、本当にいただいていいんですか?」 「どうぞ。そのままで大丈夫そうですから、説明会にもそれを着て来られるといい。ネクタイは?」 「あります。」何かの時に必要になるかもしれないからと、父親のお古を1本だけ持たされてきた。

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