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第287話 ながめせしまに(3)
早坂は改めて和樹を上から下までじっと見つめると、「私も、いつも同じスーツ2、3着を交替で着るばかりで、もう少し衣装を増やさないといけませんね。母親受けにはやはり見た目も重要です。」と言った。
「あれがあるじゃないですか。」菊池が口を挟んだ。あれ、と指しているのは、前には「必勝!」、背中には「絶対合格」という力強い筆文字がプリントされたポロシャツだ。夏の勉強合宿の時に講師がお揃いで着せられていたものだそうで、和樹はまだここでバイトを始める前のことだったから、持っていない。欲しいとも思わないけれど。そのうちの1着が、今はご神体のように、壁の高いところに掲げられている。合宿の時の、必死に勉強する生徒たちの写真が拡大コピーされて、その隣に何枚か貼りだされていた。要は「あの厳しい合宿も乗り越えたのだ、自信を持って受験に臨め!」とハッパをかけるディスプレイだ。写真に映っている若い講師はともかく、早坂や久家もあれを着ていたのかと想像するとおかしい。
「確かに、あれだけは、毎年1着ずつ増えますがね。」
「毎年、作るんですか?」
「そうですよ。去年と同じじゃ、留年しているみたいで縁起が悪いでしょう。去年は確か、前が『己に勝つ』、背中が『全員合格』だったかな。」
「そのコピーって教室長が考えるんですか?」
「私だったり、久家だったり、小嶋だったり。」
「私も考えるんですけどね、いつもボツなの。」と菊池が言った。
「ちなみに、どんなのを?」
「『燃やせ闘魂』とか、『おまえはもう受かっている』とか。良いと思いません?」
「ああ、それは……。」和樹は笑いをこらえながら早坂を見た。
「ボツにする私の判断が正しいですよね?」早坂も和樹を見た。
「えっと……はい。菊池さんには申し訳ないけど。」
「そうかしら。」菊池は納得の行かない顔をした。それから、「都倉先生、そのスーツを着替えたら、飾り付けのお手伝い、お願いしますね。」と言った。心なしか、菊池が和樹に指示を出す声が険しい。和樹が菊池のコピーを褒めなかったせいだろうか。
着替えて戻ってくると、菊池はガーランドの端を和樹に渡した。「あの壁の、上のところにくっつけてください。このテープで。」
ガーランドは菊池の指示のままに付けることができたが、次に手渡されたモビールは天井から吊り下げてほしいと言う。和樹は背伸びして、更に腕を伸ばしてみたが、天井には届かない。
和樹が踏み台になりそうなものを探すと、すいっといなくなった早坂が、またすいっと戻ってきた。脚立を手にして。和樹はその脚立を使って、モビールを付けた。続いて道路側からも見える大きなガラス窓にもジェルシールも貼ったところで、早坂は脚立を引き上げて行った。考えてみれば、脚立を使うなら俺じゃなくても良かったんじゃないかとも思った和樹だったが、年齢的なことも考慮すれば、やはり自分が適任と言わざるを得なかった。
「そのモビール、どう?」と菊池が言った。
「え? ええ、可愛いですね。」
「それ、私が作ったんです。今年の新作。」
「へえ、すごい。」和樹は改めてエアコンの風にゆらゆらと揺れる、魔女やジャック・オ・ランタンを見上げた。
「ガーランドもね、そっちは去年作ったんです。」
あの万国旗のような飾りは"ガーランド"と言うんだ、と和樹は知った。「器用ですね。」
「そういうの作るのは大好き。若い頃、保育士をしていて、よく作りました。」
「売り物かと思った。すごく上手で。」お世辞のつもりもなく和樹がそう褒めると、菊池の機嫌はすっかり直ったようだ。
早坂もまた菊池の機嫌の状態をうかがっていたのかそうでないか定かではないが、「では、資料のほう、お願いします。終わったら声かけてください。上にいますから。」と言い、部屋を出て行った。
そんな雑務を終え、もらったスーツを抱えて塾を出た。帰る道すがら、小嶋と久家のことを考えた。早坂の見合いの話だの菊池のガーランドの話だので話が逸れてしまったが、今日一日のうちでもっとも衝撃的なできごとだった。いや、今日一日どころではないだろう。何しろ、初めて実際に出会った、養子縁組にまで至った「同性婚」カップルだ。
養子縁組。そんな単語は涼矢との会話の中にだって出てきた。このままつきあっていくなら、間違いなく具体的に自分たちにも降りかかってくるキーワードだ。つまり、小嶋と久家は、将来の自分たちの姿でもあるかもしれないのだ。だが――。
どうしても、あの頭髪の禿げ上がった中年太りの男と、ひょろりと猫背で介護疲れの見える男が、自分たちの「幸せな未来図」とは思えない。思いたくなかった。2人とも決して「嫌なおっさん」などではない。尊敬しているぐらいだ。でも、渋谷の美術館で老夫婦を見た時のような感動は微塵もない。久家たちを見ても、あんな風に涼矢と2人、年を重ねていきたいとは到底思えないのだ。外見の問題でそう思ってしまうなら、我ながら随分とひどい見方をしているな、と思う。
そんなことを考えているうちにアパートに到着した。授業がある日よりは早い帰宅だ。時計を見ると、ちょうど前夜に涼矢から電話をもらった時間帯で、自然と昨日の会話が思い出される。和樹の頭の中は久家たちの件から涼矢の昨日のセリフに置き換わった。
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