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第288話 VOICE(1)
あの馬鹿。
哲を車で送るとか。ふざけんなっつの。飛んで火にいるなんとやら、だ。
下宿させなきゃいいってもんでもないんだよ。まったく、何考えてるんだか。
涼矢への悪態を、心の中でだが、つく。
しかも、オナ禁ってなんだよ。
前は準備しとけって妙なもん送ってきたくせに。
悪態は止まらない。
遠距離なんだから、そんな禁欲しなくったって、充分我慢ばっかりしてるだろ、畜生。
あいつは、なんで平然とああいうこと言えんのかな。
来週、顔見たら、絶対文句言ってやる。いや、あいつに1人でやらせようかな。俺だってやらされたし。そうだ、そうしよう。
それで、我慢しろって言ったのはどこのどいつだ?とか、いろいろとだな、責めてやるんだ。まず言ってやりたいことと言ったら……
そんな責め文句を妄想していると、スマホが鳴った。当の涼矢だ。
「あ、りょ、涼矢?」
――うん。今、平気?
「だ、大丈夫。」
――どうした? 息切らして。外?
「いや、うち。今帰ってきたばかりだから。バイトで。」帰ってきて間もないのは事実だが、息を切らせるほどの直前ではない。悪口を考えていたところに本人から電話がかかってきて、とっさにうまく言葉が出なかっただけだ。
――今日バイトの日だっけ。
「臨時でね。明日、模試があるんで、その準備とか。明日もそれ手伝うし。」
――そっか。忙しいな。
「で、何? 何の用?」
――用事がなきゃ電話しちゃだめ?
「そんなことはないけど、さ。」
――声が聞きたかった。
「えあ?」不意打ちの甘い言葉に、変な声が出てしまう。「昨日もしゃべっただろ。」
――おまえが一方的に切った。
「掛け直せよ、ああいう時は。」
――そう思ったけど、掛け直したって、状況は変わらなかったし。余計怒るかと思って。
「怒ってねえし。」
――怒ってただろ、どう考えても。
「なんで怒ってると思うわけ?」
――哲を車で送るって言ったから。
「でも、疾しいことはしてないんだろ。だったら怒らないよ。怒ってないって言っただろ。」
――その件を話そうと思って、電話した。
「ああ?」嫌な予感がした。
――結局その後、疾しいことをしたので、今日はその報告と謝罪をしたい。
「へ? な、何言ってんの? 疾しいことした? 何それ? 何が起きたの? えっ、ちょ、待って待って。」
――和樹さん、落ち着いてください。
「なんでそっちが落ち着いてんの? おまえ、浮気したの?」
――してません。
「だって、今、やま、疾しいことしたって。」
――だから、説明するから、落ち着いて聞いてよ。
「あ……うん。」
――昨日、哲をうちに泊めた。
「はあっ?!」
――最後まで聞いて。
「……うん。」
――俺の部屋に泊めて、哲をハグした。誓ってそれ以上はしていないけど、一晩中ハグしてたのは事実で、それについては謝ります。ごめんなさい。何を言われても仕方がないと思ってる。
「……。」
――以上です。
「……それで、全部?」
――うん。
「あのさ。全然頭に入ってこないんだけど。ハグしたって言った? それも一晩中?」
――言った。
「その理由とか、言い訳とか、そういうのはないの?」
――理由はあるけど、理由があればいいってものでもないと思って。
「とりあえず言ってみろよ。」
――哲をバイトの帰りに送ろうとした時、俺んちに泊めてくれと言い出した。もちろん最初は断ったけど、なんていうか、情緒不安定でさ。1人にしておける感じじゃなくて連れて帰った。和室に寝かせるつもりだったけど、佐江子さんの仕事の資料で溢れかえってて、仕方なく俺の部屋に布団敷いた。そしたら。
涼矢はそこで言い淀む。和樹も何も言わない。続きの言葉を急かすこともしないが、待っているのは明らかだった。
――そしたら、布団に入ってから、いろいろ語りだした。哲、ここのところ、不眠だったらしい。そういうのは前からずっとあったみたいで……つまり、中学とか、高校とか、その頃から。家庭のこともあったし、ゲイだってことも、それでいじめにあったりとかもしてて、それで、眠れなくなったり、腕を切ったり、金もらって男と寝たり、そういうことしてた時期があるって……。でも、腕を切るのは、倉田さんに出会ってからはなくなったって。そういう話をされた。
「それとおまえのハグと何の関係があるんだよ。」
――倉田さんと別れてから、また不眠がぶりかえしたって……。だからバイト詰めて、くたくたに疲れて寝ようとしたけど、1人だとよく眠れなくて、そういう時、今までだったら倉田さんがそばにいてくれたって。何もしないでハグしてくれてたって、そう言うから。
「おまえが倉田さんの代わりにハグしてやったってこと? そうしてほしいってお願いされたわけ?」
――違う。俺の意志でやった。
「なっ……。」和樹は言葉を詰まらせた。
――ごめん。
「……んだよ、それっ……。」ようやく絞り出した和樹の声は、怒りに震える余りに、小さなかすれ声になった。
――放っておいたら……それも拒否したら、本当に死んじゃいそうだった。それで……俺が自分で、自分からやったことで、だから、俺が全部悪い。
「なんだよ、それ!」和樹はついに爆発して、さっきと同じ言葉を、今度は大きな声でまくしたてた。「なんなんだよ、さっきから! そんなんで、俺がああそうって言うと思ってんの? 何考えてんの?」
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