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第289話 VOICE(2)
――ごめん。
「そういうのいいから。ちゃんと話せよ。それとも何? 哲のほうが良くなったの? この電話って、そういう話?」
――違うよ。違うに決まってんだろ。……ごめん、きちんと説明したいけど、どう言っても弁解にしかならないから。
「弁解でいいよ、これじゃ納得できねえよ。全部ちゃんと言えよ。」
涼矢はスマホを手にしたまま、壁に背中をこすりつけるようにしながら腰を落としていき、最終的にはその場にしゃがみこんで、うなだれた。和樹に届く声が少しくぐもったのはそのせいだ。
――和樹ならどうするだろうって、考えてた。
「……え?」
――哲の話を聞いて、やっと分かった。おまえがなんで、哲と倉田さんのこと、あんなに心配してたのか。おまえにとっては迷惑な奴らでしかないはずなのにさ。……昨日の哲はボロボロで、見ていられなかった。昨日の、っつか、それが元々、ホントのあいつだったんだと思う。そんなあいつから倉田さんを取り上げたのは俺だ。だから、せめて、俺が、一晩だけでも寝かせてやろうって思って、ハグした。その時、きっと倉田さんだってそう思ってたんだって、俺、急に分かった。哲を苦しみから救い出してやろうなんて大それたことを思ったんじゃない。寄り添ってやりたかっただけなんだろうなって。そう思ったら、おまえもそう言ってたこと思い出した。その言葉の意味が、やっとつながった。
「……でも、だからって俺はハグなんかしないぞ。おまえがいるのに。」
――うん。そう、そうだよな。……あの、遊園地のエミリの時も、俺は、和樹だったらどうするかって考えたんだ。ああいうこと初めてだったし、どうしていいか分からなかったから。それで、キスした。和樹が俺でもそうするって思ったから。でも、今回は違った。和樹だったら、ハグなんかしないだろうって、思った。
「だったら、なんで、そんなこと。」
――和樹だったら、もっとうまくやれる。哲のことも、俺のことも、誰も傷つけないやり方が、おまえならできると思った。でも、俺にはそういう方法、全然思い浮かばなかった。哲に優しくしようと思ったら、倉田さんの真似をするしかなかった。キスとか、それ以上のことなんかできるわけないけど、でも、一晩、抱きしめてやるだけならできると思った。このことはちゃんとおまえに正直に話して、ちゃんとおまえに謝ろうって思いながら、そうした。ちゃんとおまえに怒られようって、そう覚悟してた。
和樹は、似たようなセリフを別の誰かからも聞かされた覚えがあった。そうだ、それこそ、倉田さんだ。涼矢を見送った日だ。倉田さんに誘われて朝食をごちそうになった。俺はごちそうになった立場のくせに、辛辣な言葉を好き放題に倉田さんにぶつけた。そこには涼矢と離れる淋しさをやつあたりのように含めていたし、随分と身勝手な行為だったはずなのに、哲と別れたばかりの倉田さんはそれを笑って受け止めた。そんな風に振舞う理由を、「誰かに怒られたかったんだ」と、確かそう言ったんだ、あの時の倉田さんは。
「なんなんだよ、怒られるの覚悟とかって……。そう思うなら最初からしなきゃいいじゃねえかよ。」
――それしかできなかった。ごめん。でも、どうしても、哲を放っておけなかった。おまえがあの場にいても……、もちろんおまえは、俺よりずっと良いやり方ができただろうけど、とにかく、おまえだって見捨てはしなかったと思う。そう思ったから、俺は。
「ずるいよ、そんな言い方。なんで俺にジャッジさせるんだよ。」
和樹もまた、その場に崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。涼矢の言葉は聞こえている。内容も理解した。返事もした。けれど、ここから先の結論を出せずにいた。
ハグ? ハグって何? 抱きしめることだろ? 誰を? 哲を? それも、一晩中? 涼矢の部屋で? あのベッドで? どうして? 哲が不眠? だから? ハグしてやれば眠れるからって? でも、哲だぞ? 見捨てられないとか、放っておけないとか、それってハグしていい理由になるか? 俺に怒られると分かってただの、俺ならもっとうまくできるだの、そんなん言うってことは、試合に勝って仲間と抱き合うとか、そういうハグじゃねえってことだよな? 疾しいハグ、なんだよな?
和樹の脳裏に、涼矢の部屋の様子が浮かんだ。涼矢が告白してきたあの部屋。涼矢のイラストを初めて見せてもらった部屋。初めてキスした場所。初めて、そして何度も抱き合ったベッド。
「おまえ、何言ってるんだよ……。」和樹はしゃがみこみ、頭を抱えた。スマホはだらりと下げた手の先にあり、もう耳からも口からも離れていて、涼矢にはその呟きは聞こえなかった。
それでも、涼矢には和樹の衝撃は伝わっていた。当然の反応だと思う。和樹に伝えるに当たって、どう言えばいいか、何度も考えた。もっと気の利いた言い方だってあるだろうとは思った。だが、哲がいくらかわいそうでも、自分がそういう相手に対していくら不器用でも、ハグしていい理由になどならないと思った。だとしたら、言い方の工夫なんて、和樹のためじゃない。自己弁護にしかならない。
和樹はしゃがみこんだまま、スマホを再び顔に当てる。
「友達を助けるために仕方なくそうしただけだって。そうするしかなかったって、どうして言わない?」
和樹の声は、怒っていると言うよりは、泣きそうに聞こえた。それが一層涼矢には堪えた。怒ってくれ。責めてくれ。そんな、傷ついた声を出さないでくれ。
――自分が悪いって分かってるし。分かってやってるから余計悪いって思ってるし。怒られて当然だって分かってる。
「……少し、時間くれ。何も考えられない。」
電話が切れた。前日と同じように和樹が一方的に切った。昨日のような乱暴さはない。静かに、通話は事切れた。
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