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第296話 VOICE(9)

 ストーカーに追われて、他に頼る人もいないという、「とってもかわいそうな境遇の女の子」が、和樹の部屋で2週間も過ごしたことはある。エミリだ。もちろん嫉妬した。けど、俺とエミリと和樹の関係は、哲を挟んだ関係とは違う。エミリのことは信用できた。でも、それと同じ文脈で、和樹が哲を信用できたはずがなかった。それなのに、心のどこかで「お互い様」、あるいは「エミリの2週間に比べたら、ほんの一晩ぐらい」と思っていたかもしれない。エミリを信用してたけど、それでも俺の嫉妬は収まらなくて、だから毎日2人に電話を掛けさせたし、意地でもエミリより長い日数を和樹の部屋で過ごそうとした。信じていたってそんなだったのに、信頼関係のない相手と過ごしたという話を、和樹はどんな気持ちで聞いていたのか。――ということを、何故、言ってしまう前に、気付かなかったのか。 「今はもう分かってる。死ぬほど後悔してる。」 「バッカだなあ、ホントに。」 「否定できないことを何度も言うな。」 「で、今、どういう状況よ?」 「着拒。」 「へ?」 「着信拒否されてる。」 「うわあ。」 「初めてで。こんなの。」 「他の連絡手段ないの? パソコンのほうのメールとか。」 「スマホだけなんだ、あいつ。」 「共通の、仲を取り持ってくれそうな友達とか?」 「無理。」 「おまえ友達いなさそうだもんな。」 「いるよ。」涼矢は哲を睨んだ。「いるけど……ちょっと、そういうことには、巻き込めない。」それこそ、そのポジションにいて、この状況で和樹が耳を傾けてくれるであろう「友達」といったらエミリだ。だが、彼女にそんなことはさせられない。有体に言えば「かつて自分が振った女」だし、そして、彼女に今回の件を言えば、彼女までもが責任の一端を感じてしまいそうだ。そういう子だから、エミリは……。俺はまた、他人の脳みそに自分の苦悩を肩代わりしてもらうことになる。  それじゃだめだ。自分で蒔いた種は、自分で刈り取るべきだ。 「じゃあ、待つしかないんじゃない?」 「和樹からの連絡を?」 「そう。だって、着拒までして、おまえと話したくもないわけだし、そこまで閉ざした相手の心を無理やりこじ開けてもね?」 「待ってて……来るかな。」 「さあ。」 「……おまえのせいだって言えたら良かったのにな。」 「いいよ、俺にせいにしたって。いくらでも恨んでよ。それが気が済むなら、回収してやるよ、おまえの恨み言ぐらい。」 「こんなことで、別れたりすんのかな?」 「知らないよ、そんなの。けど、大丈夫じゃないかな。」 「なんでそんなこと言えるんだよ。」 「だって都倉くん、おまえのこと大好きだもん。」 「根拠は?」 「勘?」 「なんだよそれ、ちゃんと証拠挙げて、論破してみせろよ。」 「論破したら一発やらせてくれる?」 「もういい。」 「……じゃあ、ひとつだけ教えてあげるけどね、もし、彼から連絡あったらね、全力で彼の気持ち、取り返しに行きなよ?」 「え?」 「ちょっとでも彼が隙を見せたら、すかさず攻撃するんだよ? 分かった?」 「こ、攻撃?」 「鈍いなあ、もう。だからさ、ちゃんと話をしようとか言われたら、電話とかじゃなくて、会いに行くの。それで好きだ好きだって言いまくって押し倒して、やっちゃうの。分かった?」 「会いにって……東京に?」 「そうだよ、もちろん。」 「もともと、今週末には行くはずだったんだ。でも、こんな状態じゃ……。」 「だったら、ちょうどいいじゃん。もし行くはずの日まで連絡なくても、約束してただろって言って、堂々と押しかけちゃえばいい。その前に連絡あったら、すぐにゴー。OK?」 「授業だってあるし。」 「だから馬鹿だっつってんだよ。もう馬鹿だな、本当に馬鹿だな。大学なんか、1週間やそこら休んだってどうにでもなるだろ。」 「金曜だって、刑法のレポートの提出日で……。」 「ちょっと、田崎のスケジュール見せろ。」  涼矢は哲の勢いに圧されながら、スマホに入れてある時間割を見せた。 「あー、これとこれ、は、俺も取ってるやつだからなんとかしとく。このへんは出席関係ねえだろ。こっちも1回2回休んだってどうってことねえよな。なんだ、何かひっかかりそうなの、レポート提出だけじゃん。できてんの、レポート?」 「半分ぐらい。」 「できてるとこまででいいから、すぐ俺んとこにデータ送れ。間に合わなそうだったら適当に補完して提出しておく。」 「半分しかできてねえんだぞ?」 「おまえが書くようなレポートならチョロッと書けるよ。田崎のレベルに下げて書くのに苦労するだけで。」 「う。」哲なら書けるだろう。そう思う。 「だから。」哲は涼矢にあげたはずのコーラを手にした。「心おきなく、飛んで行きたまえよ。……ま、彼が連絡くれたらの話だけどね。」 「電話で話するだけじゃだめなわけ?」  哲は頭を低くして、下から覗き込むように涼矢を見た。何をしているのかと涼矢が戸惑っていると、ふいに顔が至近距離に寄ってきた。反射的に体をのけぞらせてよける。「なっ、なんだよっ。」 「キスされるかと思った? やろうと思えばできたけど。」

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