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第302話 VOICE(15)

 和樹は、目の前で倒れている人がいたら無条件に助けようとする。それが誰であっても。だから、今のこの優しさを勘違いしないようにしないといけない。こんな風にしてもらえたからといって、この後、別れ話を切り出されない保障にはならない。  でも、抱きしめたら抱き返してくれた。キスして、愛していると言って、そうしたら、自分が先に言うつもりだったのにと、和樹は、そんなことを言ったか? あれは現実のできごとだったか?  和樹の無条件の優しさと同じもののつもりで、俺は哲を抱いて寝た。でも、それとこれとは違っていた。その見極めが、俺にはまだよく分からないままだ。自分のしていることが正解なのかどうか分からない。でも、もう、その答えを一足とびに和樹に聞くのはやめようと思う。やめなきゃいけない。だってそれは、俺の苦悩を和樹に肩代わりさせてしまうことで、そして、こんなにも和樹を傷つけることなんだから。自分で必死に考えるしかない。今の俺は、正解が何かは分からなくても、自分が一番大切にしたいものなら分かっている。……陳腐な答えだけれど、和樹の笑顔、だ。  涼矢はバスルームから出て、和樹が用意してくれた服を着た。 「和樹。」思わず呼びかけたものの、何から話したらいいのか、分からなかった。哲は好きだ好きだと言ってキスして押し倒せと言ってたけれど、キスの後には予定外にお風呂になんか入ってしまった。そんなケースの対応についてのアドバイスはされていない。  和樹は両手に水が入っているらしいグラスを持ったまま立っていた。それをテーブルに持っていこうとしているところだったようだ。和樹は涼矢の呼びかけに一瞬フリーズしたものの、静かに微笑んでうなずいてみせた。涼矢の緊張した面持ちに何かを察して、怖がらなくていいんだと言い聞かせるように。それから、グラスをテーブルに置くと、自分はベッドに腰掛けた。そこで、涼矢のほうは見ずに「びっくりした。」と言って、笑った。  涼矢は和樹の前にかしずいた。ベッドに腰掛ける和樹を見上げて、「ごめん。」と言った。 「うん。」 「いろいろ、本当に、ごめん。」 「うん。」 「許してくれって……都合よくて、本当に、悪いと思っているんだけど。」 「うん。許す。」あっけなく和樹は言った。手を伸ばして、涼矢の頭を撫でた。まだ髪は湿ったままだ。「好きだよ。」その指先が、こめかみから頬を伝い、顎に触れた。その顎を引き寄せるようにして、和樹は涼矢にキスをした。「俺のこと、好き?」 「好きだよ。」 「誰よりも?」 「誰よりも好きだよ。」 「うん。俺も。」和樹はもう一度涼矢の顔に近づいて、今度はお互いの額と額をくっつけた。「愛してるよ。おまえだけだ。」と小さな声で言った。  涼矢はうつむいて、大きく息を吐いた。その顔をまた、和樹は上向かせる。「なんだよ、そんな、ため息なんて。」 「ため息じゃない。ホッとしたんだ。……生きた心地、しなかったから。」 「ああ……。」今度は和樹がうつむいて、両手の指をくるくると回した。「着拒とかして、ごめん。」 「和樹が謝ることなんか、ひとつもない。全部俺のせいだ。俺が悪い。」  和樹は、いたずら者を懲らしめるように涼矢の両頬をつまんで、左右に引っ張った。「そうだな。おまえが悪いな。」 「ごめんなひゃい。」頬を引っ張られて、そんな風にしか言えなかった。 「何が悪かったか、本当に分かってるか?」和樹は手を離した。涼矢の頬に赤い痕が残っていた。 「て……哲のこと。」 「そうだな、それが発端だな。」 「それを馬鹿正直におまえに言ったこと。」 「そうだな。普通、言わねえわな。つか、言えないよな。」  でも、それが正解だとは、和樹は言わない。涼矢は「自分の脳みそで」この先言うべき言葉を考える。が、うまく言葉にできずに黙りこくってしまった。  すると、和樹のほうからヒントが与えられた。「なんで普通は言わないと思う?」 「……相手を傷つけるから。俺は、おまえを傷つけたな?」 「なんで俺が傷ついたと思う?」 「……和樹が……俺を……。」 「そうだよ。俺がおまえのこと、好きだからだよ。俺、おまえのこと、何度も好きだって言ってるのに、おまえは自分のことばっかりで、全然俺の気持ちを考えてくれない。」 「ごめん。」 「それと、今、こんな恥ずかしいことを俺に言わせてる。それも、おまえのやった悪いこと、に上乗せしてやる。」 「恥ずかしいのは俺のほうだよ。そんなことも分かんなくて、俺は……。」 「うっせえよ。またそうやって自分のことにするけど、俺のほうが恥ずかしいよ。惚れた男に適当にあしらわれて逆ギレしてる女みたいなこと、言ってるしやってるし。」 「ごめん。」 「そこで謝るなよ、馬鹿。」和樹は苛立たしげに髪をかきむしった。 「ごめん。」 「もういい。おまえのごめん、もう飽きた。」 「……。」 「いつまでそこに座ってるつもりだよ。」涼矢は、和樹の足元の床に座っていたままだった。

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