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第308話 NOISE(6)

 和樹は涼矢の腕の中でくすくすと笑い出した。その様子を涼矢は不思議そうに見た。 「なんで夏ん時は、こういう風に起きたことなかったのかなって思って。腕枕で痺れたとか、そんな話することなかっただろ? よく考えたら、暑かったからだよな。朝起きると、おまえ、その壁にペターッとはりついててさ。壁がひんやりしてるから。なんか、そういうの思い出した。」 「そうだっけ。」 「そうだよ。」 「俺のこと、よく見てる。」  和樹は愛しそうに、涼矢に微笑みかけた。「まだ足りない。おまえが俺を見ててくれた時間考えたら、全然追いついてない。」 「今度は和樹がストーカーになる?」 「なりたくても、距離的なハンデがあるよなあ。おまえの部屋に隠しカメラつけとけよ。」 「言っちゃったら隠しカメラじゃないだろ。」涼矢は笑いながらベッドから降りた。  涼矢は洗顔をして髪型を直した。洗濯機にスイッチを入れる。パンもシリアルも見当たらず、米を炊く時間はなく、辛うじてカップスープをひとつだけ発見した。お湯を沸かして、そのスープにお湯を注ぐ。着替えたかったが、昨日着てきた自分の服は今まさに洗濯中のため、昨夜借りた部屋着のままでいるしかない。 「おい、そろそろベッドから出ろよ。大学(ガッコ)、ちゃんと行けよ。」  一向にベッドから抜け出そうとしない和樹に言った。 「何時に出るの。もう8時過ぎてるけど。」聞こえないふりをする和樹に、重ねて涼矢が言う。「それと、カップスープしかないんだけど。しかもこの1個だけ。」 「俺は行きにコンビニで何か買っていくよ。だから、それは食っていいよ。」和樹はようやくのっそりと起きだして、着るものを物色し始めた。 「おまえ用に作ったんだけど。」 「作ったって……。作ったうちに入らないだろ、涼矢シェフ。」 「じゃあ。」涼矢はマグカップを持ってきて、半分をそちらへ注いだ。「半分こで。俺もコンビニで何か買うから、一緒に出よ。」 「そのカッコで?」 「変かな。」 「上はともかく。」和樹は涼矢のズボンを一瞥した。 「栄光のジャージだけど。」和樹が貸してくれたのは高校時代の部活ジャージだった。当然、涼矢も自宅には同じものがある。「しかも、憧れの都倉くんの。」ウェスト近くにある「都倉」の刺繍部分をつまんで見せた。 「これもあるぜ。」和樹は笑いながら、ジャージの上着を出した。  涼矢は嫌がることもなくそれに袖を通す。「懐かしいな。いっそこのトータルコーディネートなら悪くないんじゃない? 部活やってる高校生に見えない?」 「……まあな。見えなくはない。」むしろ見慣れている気がした。俺のよく知ってる涼矢は……知ってるつもりで3年間見てきた涼矢は、こんな感じだった。いや、あの頃は、もっと坊主に近い短髪だったから、やっぱり違うかな。3年間の涼矢より、この半年間の涼矢のほうが、「涼矢らしい」と感じるようになった。  涼矢はふと、ラックに掛けられている和樹のスーツを凝視した。「そっか、高校教師と生徒っていうシチュエー……」  涼矢の言葉を遮るように和樹は言う。「やらねえからな。」 「帰って来てからのお楽しみだな。……って、今日、塾か。リアル都倉先生の日か。」 「やらねって。」 「バイトの時、スーツ着るの?」 「着ない。それは、保護者の前で説明しなきゃならなくて、その時だけ着たの。普段はこんな程度。」和樹は外出着に着替え終わっていた。普通のシャツに普通のチノパンだ。 「まあ、それも悪くないけど。」  2人ですっかり冷めきってしまったカップスープを飲み干す。少量だから、あっという間だ。マグカップをさっと洗うと、2人で玄関に立つ。ドアを開ける寸前に和樹が涼矢をチラリと振り返る。涼矢は当然のようにキスをした。  涼矢が靴に足を入れた瞬間、「うえっ。」と声を出した。「靴、濡れてた。」 「ああ、そっか。ティッシュでも詰めときゃよかったな。靴はなぁ、さすがに俺のじゃサイズ合わないだろ。」 「サイズ以前に生理的に無理。」 「俺のでも?」 「うん。好き嫌いの問題じゃない。」 「ジャージは喜ぶくせに。」 「はは。」そんな会話をしながら、アパートの階段を下りた。涼矢は湿った靴で我満する覚悟を決めたようだ。「そう言えば、かぼすの彼は?」 「うん、いるよ。たまに会う。ドーモって、会釈ぐらいはするようになった。」 「ふうん。」 「顔色が良くなった気がする。転職でもしたのかな。前より早い時間に帰ってきてるっぽいし。」 「そうなんだ。」涼矢はふと足を止める。「大学まで、車で送ってく?」 「あ、そっか、おまえ車なんだよな。……初ドライブにしちゃ色気がないけど、お願いしようかな。」  涼矢はうなずいて、2人でコインパーキングまで歩いた。涼矢がスマートキーでドアを開け、和樹に助手席に乗るよう促した。 「シートの具合はいかがですかね。」涼矢も運転席に乗り込む。 「はい、最高です。」和樹はシートベルトをつけながら涼矢を見た。「しっかし、似合わねえなあ、この車にそのジャージ。」 「これだと高校生のふりができないな。」車が動き出す。涼矢はナビに和樹の大学名を設定する。 「あの、さ。大学の真ん前じゃなくて……。」 「分かってるよ。」

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