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第312話 NOISE(10)

 彼女はどんな風に和樹に抱いてもらっているんだろうか。和樹はその時、どんな表情で、声で、彼女をイカせているのだろうか。それを想像すると妬ましく苦しかった。それでいて、自慰に耽る時には想像せずにはいられなかった。  初めて肌を重ねた日。あの卒業式の後。和樹は涼矢の服を脱がせながら「綾乃の服を脱がせたことはない」などと言ってのけた。綾乃は積極的で自分から服を脱ぐし、そして胸が大きくて、乳首が感じるのだと、涼矢を挑発した。あの和樹が、今では潤んだ目をして足を開いて、涼矢に挿入してくれと請い、涼矢の名を呼びながら果てるのだ。他の男に添い寝しただけで嫉妬に狂うのだ。一目で恋に落ちて、ただ一方的に見つめるだけだった日の延長線上に、こんな今があるということが信じられない涼矢だった。  3年前の記憶から現在まで戻ってくると、涼矢はゆっくり起き上がり、ベッドの縁に移動して、腰掛ける姿勢になった。ふぅ、と一息吐いた。自慰の後の甘美な罪悪感が込められる。それから、わざと「ヨイショ」などと大袈裟に年寄り臭い言い方をして立ち上がる。気分を変えて、次には夕食を作ることにした。バイトの前に帰れるかどうかも分からないし、帰れても食事をゆっくり楽しむ時間はないと和樹は言っていた。だから凝ったものを作る必要はないと言われたけれど、さっと食べられて、なおかつ明日に持ち越せるようなものを作ればいいだけだ。  結局作ったのはミートソースだった。あとはスパゲティを茹でればいい。今日食べないなら明日。冷凍しておけば更に先までもつだろう。それを見越して大量に作った。  スパゲティを茹でる時間さえない時のために、白飯も炊いておくことにした。チーズとかつおぶしも買って来たから、「おかかチーズおにぎり」も作れる。和樹は「チーズおかか」と呼んでいたが。無論、どう呼んだって構わない。  料理が一段落すると、涼矢はテーブルの前に座り、ティータイムとしゃれこんだ。と言っても、単に普通の緑茶を淹れて、さっき買ってきたみかんをひとつ、食べただけだが。急須がないから緑茶はティーバッグだし、それをマグカップで淹れて飲んだ。みかんは早生(わせ)で、酸味が強い。柑橘系の酸味から、ふと、隣人の存在を思い出す。最近顔色が良くなったとか言ってたな。勝手な想像だが、彼の職場環境が良くなったなら喜ばしいことだ。だが、ここ数日間はまた眠れぬ夜を送らせてしまうかもしれない。  それから哲にメッセージを送った。和樹に無事に会えたこと。レポートの提出をお願いしたいこと。箇条書きのようにそれらを伝えた。哲への感謝の言葉を添えるべきかを悩んで、結局入れずに済ませた。リアルタイムなやりとりをしたくなかったから、わざと講義中の時間を狙って一方的に送った。そのため哲からの返事が来たのは30分以上経過してからで、それも単に「OK」のスタンプひとつだった。何がOKなのか。レポート提出の件を承知したという意味か、あるいは一連のことに対しての「良かったな」ということなのか。それは判然としなかったが、問いただす必要も感じずに、そのままにした。  和樹が帰宅してきたのは、4時半だった。 「ただいま。」 「……おかえり。」いきなりの帰宅に涼矢は戸惑い、慌ててスマホを見た。着信に気付かなかったのではと思ったのだった。  和樹もそれを察したのか。「悪ぃ、どっかで連絡しようと思ったんだけど、タイミングがなくて、着いちゃった。」 「それなら良かった。連絡貰ったのにスルーしたかと思った。」  和樹は洗面所に直進して、手を洗い、うがいをした。  その様子を見て、涼矢は「偉いねえ、帰ってきたら、手洗い、うがい。」などとからかう。 「受験生に風邪だのインフルエンザだのうつしたらコトだからな。インフルなんか、予防接種もしたよ。塾から補助金出るんだ。」 「へえ。気を遣うんだな。」 「でさ、悪いんだけど、15分後に出る。」 「マジか。」 「授業は6時からだけど、準備があるから早めに着くようにしないと。」 「車で」と言いかけた涼矢に和樹は首を振った。 「電車のほうが早い。ごめんね、慌ただしくて。」 「いや、俺はいいけど。つか、だったら直接行って良かったのに。」  和樹は涼矢の隣にストンと座る。「なんでそういうこと言うかな?」と、あからさまにすねて見せた。 「え。」赤くなったのは涼矢のほうだ。「あ……ああ、ごめん。」慌てて立ち上がった。「なんか食ってくだろ。おかかチーズおにぎり、すぐ作れるぞ。」 「おにぎりは、朝、食べたから要らない。他にないの。」まだ少しへそを曲げているらしい。 「……3分待ってて。」  2分40秒後に、和樹の前に皿が置かれた。「お。うまそ。」 「なんちゃってドリア。」 「なんちゃってなの?」 「ミートソース作ったから、ごはんにそれかけて、とろけるチーズかけて、レンチンしただけ。ちょっと熱いかも。」ベシャメルソースがあれば、もっと「らしく」仕上がるのだけれど、と心の中で思う。 「いただきます。」はふはふと吹いて冷ましてから、和樹はそれをほおばった。「うめぇ。」

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