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第313話 NOISE(11)
「良かった。」涼矢はそんな和樹を眺めた。自然と顔がほころんでしまう。
その視線に気づいたようで、「母ちゃんみたいな顔して見んなよ。」と和樹が言う。
「たくさん食べて大きくおなり。」
「縦に大きくなるんならいいけどさ。……ねえ、このミートソースってまだある?」
「あるよ。大量生産した。」
「帰ったら、ミートソーススパゲティで食べたい。あ、でも、パスタ、買い置きあったかな。」
「買ってきた。」
「さっすがあ。」和樹は最後の一口まで皿からこそげとるようにして、食べ切った。「はぁ、うまかった。ごちそうさん。」
「もうそろそろ出なきゃだね。皿、そのままでいいから。」
「ああ。サンキュ。」和樹は立ち上がり、また洗面台へ行く。今度は歯磨きだ。「帰ってくるのは10時過ぎるから、飯は適当に食ってて。」
「うん。」
「あ、でも、胃の3分の1ぐらいは余裕残しておいてよ。」
「へ?」
和樹は歯磨きの山場を迎え、しゃべれない。すすぎ終わってから続きを言った。「帰ってきたら、一緒に食べよ。スパゲティ。」
「……ああ、うん。」涼矢は放心したような表情で、その表情通りの、気の抜けた声を出した。
「なんつう顔してるの。」
「いや、おまえがあまりに可愛いことを言うので。」
「スパゲティを一緒に食べたいってのがそんなに?」和樹は、いよいよ玄関に立つ。涼矢も見送るために寄って行った。
「そんなにだ。勃つわ。」
「オナ禁中だからな? 俺がいない間に1人でオイタするんじゃないよ?」
涼矢は一瞬ひるんで無言になったが、それはどぎつい冗談のせいだと和樹は解釈してくれたようだった。涼矢はその誤解は解かないでおくことにした。
「行ってくる。」
「うん。行ってらっしゃい。」涼矢が和樹の顎を引き寄せると、自動的に和樹が目をつぶる。そして、2人はキスをした。軽く触れ合うだけのキスで涼矢が離れようとすると、今度は和樹が涼矢の肩をグイッと抱き寄せ、もう一度キスをした。舌先までもが絡み合うキスだ。それも済んだかと思いきや、今度は涼矢の上唇と下唇を交互についばみ、最後に涼矢の肩に額を載せて、ハァと吐息をついた。
「ほら。遅くなるよ。」涼矢が和樹の背中をポンポンと優しく叩いた。
「うん。」
「待ってるから。」
「うん。」
「タバスコ使うなら、帰りにコンビニかどっかで買ってきて。俺、使わないから、買ってきてない。」
「使わない。」
「じゃあ、まっすぐ帰ってきて。小走りで。」
和樹は顔を上げてはにかんだように微笑むと、ようやく涼矢から離れた。そして、手をひらひらさせて出て行った。ドアが閉まった途端に、涼矢はその場にしゃがみこみ、頭を抱えた。
――あいつ、いつからあんなに可愛かったっけ……。
言うまでもなく、一目惚れした瞬間から可愛いことは可愛かった。ただ、それは好きな相手を愛しいと思う意味の可愛いであって、いくら整った顔をしているからといって、180cm近い和樹は造形として「可愛い」と言われる筋合いの容姿はしていない。
だが、今の和樹は、まるで少女漫画の主人公のようだ。花でも背負っているかのように、瞳に星が瞬いているかのように、可愛い。去り際にひらひらと振った手。はにかむ顔。口づけを待つためにつぶった目。スパゲティを一緒に食べたいとせがむところ。たった15分を涼矢と過ごしたいからと帰ってきたところ。それに対する、涼矢の無粋なセリフにすねたところ。どれを取っても無性に可愛い。
だから、勃つわ、と冗談交じりに言ったセリフも、あながち冗談でもないのだった。ほんの少し前に「1人でオイタ」をしたというのに、またぞろ股間は昂ぶった。それが収まるのを待ってから、再びテーブルのところに戻り、和樹の食後の皿を取ってきて、洗った。皿とコップとスプーンだけだ。すぐに洗い終わる。水切りカゴに置く時に、ふと、前回の訪問時に、ここで和樹と激しいセックスをしたことを思い出した。
ここに和樹を座らせて、足を開かせ、フェラチオをし、挿入した。あのあたりから、和樹は涼矢に挿入をねだることへの抵抗感が薄れた気がする。昨日なんかは、ベルトで拘束するのだって、形式的に嫌がっただけですんなりと許し、外そうかと提案してもそれより早くイカせてほしいと自分から言い出した。
「ったく。」涼矢は吐き捨てるように呟いた。この部屋にいると、何を見ても、どこにいても、和樹とのセックスのことを思い出して欲情してしまう。そんな自分に呆れつつ、それだけ和樹が愛しくてならないのだと思う。
告白する直前は、これ以上好きになれないほど好きだと思っていた。そんなに好きな相手が、遠く離れてしまうと思えばこそ、溢れるように想いを告げた。溢れてしまえば落ち着くとも思った。けれど、つきあってからのほうが、より和樹が好きだと思う。今が一番好きだと思う。
和樹が塾に到着すると、いつもは小嶋が座るデスクに小嶋の姿はなく、その代わりに森川が立ったまま資料ファイルをめくっていた。森川は契約社員で、例の、この塾の一期生だったという男だ。水曜日の担当ではないはずだった。
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