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第316話 NOISE(14)
「なんか。」和樹は恥ずかしそうに少しうつむいて、頬を赤くした。「俺が、その……幸せそうに見えるからなんだってさ。俺にはもうちゃんとした相手がいて、充実した恋愛してて、誰が誰とつきあおうと、他のカップルのことはどうでもいいっつか、気にしなさそうだからって。」
涼矢まで顔を紅潮させた。「何、それ。」
「自分じゃ分かんねえけど、そうなんだってさ。よっぽどお花畑に見えたんじゃないの、俺が。」
涼矢は口元を手で覆う。真っ赤な顔で照れる和樹を見て、ニヤけそうになるのを隠しているつもりだ。「実際、自分でそう、思うの? お花畑だなって。」
「えっ?」
「幸せだなって思ったり、してる? ここ数日の件は、別にして。」
「え。ああ、まあね。」
「そっか。」
下半分を隠していても、手の下のニヤけた顔は和樹にも分かっていた。「おまえはどうなんだよ。」
「幸せだよ。離れてる間は、淋しくはあるけど。」
「なんだよ。」和樹は笑う。「おまえだって可愛いこと、言ってるじゃないかよ。」
「お花畑かな。」
「そうなんじゃねえの。」
「まあ……そうなのかもな。」
2人はお互いの顔をチラリと見ては照れて、視線を逸らした。
「それはさておき、だ。」和樹は空咳をして、あぐらから正座に姿勢を正す。ふたつ並んだリモコンを指先で円を描くようにして示した。「小嶋先生と久家先生は、そんなわけで、長年つきあってて、一緒に住んでて、養子縁組もした。でも、2人暮らしじゃなくて、小嶋先生の母親と同居してる。」和樹はリモコンの隣に置くものを探した。さっき剥がした粉チーズのシール蓋があったので、それを置く。
「ああ、介護の。」
「そう。ヘルパーさんもいるらしいけど、小嶋先生がメインで介護してる。そもそも、それでフルタイムで働けなくなったから、俺がバイトで入ったんだ。お母さん、痴呆入ってて、大変みたい。」
「そっか。……でも、息子とその彼氏と同居って、普通、ないよな。ましてやその世代の人で。よっぽど親に気に入られてたんだな。」
そう。それこそが涼矢に話したかったところだ。実際は涼矢の言うこととは逆だ。ほぼ同居という状況で長年暮らしていながら、2人の関係が小嶋先生の両親に認められることはなかった。父親には最期まで認めてもらえず、母親は痴呆になって、家族の顔も分からなくなって、そうなって初めて、「笑った」。でも、それは「許された」のでも「受け入れてもらえた」のでも、ましてや「祝福された」のでもない。
ふたつの世帯を結びつけるはずだったドアは長らく開かずのドアで、母親が要介護になってようやく、開かれた。認めてくれないならいい、2人だけで生きて行ってやる。そんな選択肢だってあったはずだと思うのに、病み上がりの衰えた体で、仕事さえも犠牲にして、小嶋先生は介護に没頭する。久家先生には一切手伝わさせずに。それを久家先生は親孝行だと言う。今まで不義理ばかりしていたと言う。和樹にはそれが納得できない。そりゃあ、親に認めてもらいたい気持ちは分かる。でも、そんな成り行きで「母親が笑ってくれた」と喜ばなくちゃならないのか?
――それは「間に合った」のか? 「手遅れ」なのか?
自分では結論の出なかった、そんな話を、涼矢としたかった。
違うんだよ、涼矢。それがさ、両親は最後まで2人を受け入れなかったんだってさ。でも、小嶋先生はそんな母親を介護してるんだよ。どう思う?
だが、和樹はどうしてもその話を切り出すことができなかった。ニコニコと「俺たちの幸せな未来の可能性」を期待している涼矢に向かって、本当のことは言えなかった。
「最初はね、正直、ちょっとギョッとしたんだ。」その代わりにそんな話をしだした。
「うん?」涼矢は小首をかしげる。
「2人とも、見た目は、普通のおじさんで。その辺ですれ違っても、気にも留めないと思う。久家先生はさっき言ったような感じだし、小嶋先生だって、昔はアスリートだったみたいだけど、今はガリガリで、猫背で、いつも疲れたような顔してる。仕事の上では尊敬してるし、すごいなって思うことはよくあるけど、単純な見た目で言えば、満員電車で朝から疲れ切ってるサラリーマンと変わらなくて。その2人が養子縁組までしてるなんてさ、そんなこと聞かされた時、えっ、って思ったんだ。……全然、ああなりたいとは思えなくて。」
「……。」
「俺、そういうゲイカップルの、本物……こんな言い方でいいのか分かんないけど、実際にそういう風につきあっている大人って初めて見てさ。前に渋谷の美術館でお年寄りの夫婦見たじゃない? あの時は、いいなあって。あんな風に年を重ねていけたらなって思ったのに、小嶋先生たちを見てもそうは思わなかった。」
涼矢の表情が暗くなっていく。
「でもさ。」和樹はそこで黙った。涼矢風に言えば「ちょうどいい言葉を探していた」。涼矢は不安そうに和樹を見つめた。次の言葉が、どうか2人の関係に影を落とすものではありませんようにと願いながら。「涼矢は……。」
「え?」急に自分の名を言われて、涼矢は戸惑った。
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