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第1021話 contrail(6)
和樹は涼矢の両頬に手を添えて、引き寄せるようにキスをする。
「頑張れよ。試験。俺のせいで落ちたとか言うなよな?」
「言わない……で済むように気をつける、つもり」
「ははっ」
和樹は涼矢から降りて、ついでにベッドからも降りた。
「俺も他人事じゃねえんだわ。教員免許が取れたって採用試験に通らないことには」
「頑張れよ。俺のせいにすんなよ」
「しねえよ」
――おまえのせいになんかしない。逆だ。おまえがいるから頑張れるんだ。たぶん、おまえもそう思ってくれてる。そうだろ?
互いに同じことを思いつつ、しかし、二人ともその言葉は口にしなかった。その代わりに涼矢が少しだけ話題を変えた。
「目指してるのは東京の高校なんだよな?」
「ああ、うん」
「東京は学校もいっぱいあるから大丈夫だろ」
「そりゃいっぱいあるけど、それを言うなら弁護士事務所だっていっぱいあるだろうよ」
「いっぱいあるから就職も楽勝ってわけには行かないか」
「行かないっしょ」
「シビアだねえ」
「シビアなんだよ、世の中」
「和樹がそんなこと言うようになるとは」
「まあ、俺なんか甘ちゃんだけどな」
「そう? 立派に自活してるだけで既に偉いと思うけど」
「自活できてないって。今、バイトもしてないの知ってるだろ? 親の金で一人暮らしなんて全然偉くない」
「親のすねかじりの話なら俺はもっとひどい」
「おまえはする必要ないからしてないだけで、その気になればできるだろ。俺はそうじゃないし、学費も生活費も自分で賄ってて、空いてる時間は全部バイトの入れてる奴とか見てると後ろめたい気になるんだよな」
「哲みたいな奴でも?」
涼矢のほうからその名を出したことに、和樹は狼狽えた。何故あいつの名前なんか。一瞬そう思って、すぐに理解した。哲は「経済的に困窮している苦学生」だ。大学でトップクラスの成績を維持するのも学費負担のない特待生でいる必要があるからだし、留学も自己負担金のいちばん少ないコースを選んだと聞いた。いや、選んだのではなく、彼にはそれしか選びようがなかったはずだ。
「俺はあいつが嫌いだけど、そういうとこは偉いと思うよ」
「ふうん」
涼矢の不機嫌そうな返事に、和樹は笑ってしまう。
「そんな顔すんなよ」
「元々こういう顔なんだよ」
「おまえね、おまえが言い出したくせに」
和樹が半分からかい口調で話し始めると同時にスマホの振動音が響いた。どちらのスマホかの判別はできず、二人は同時にそれぞれのスマホに手を伸ばす。
「噂をすれば」鳴っていたのは涼矢のスマホのようだ。「ほら、これ」
涼矢が突き出したスマホの画面にはメッセージの新着通知が表示されていた。送信者は千佳。冒頭の部分だけが見える。――哲ちゃん、明後日の便で帰ってくるって。
「また急だな」
和樹が呟く。
「あいつのことだからサプライズでも狙ったんだろ」
「おまえに対して?」
「いや、千佳たちに」
「おまえは驚きそうにないもんなあ」そんなことを言っている間にメッセージは消えてしまった。新着の通知はプレビューが短時間表示されるだけだ。「続きあるんじゃないの、それ」
涼矢は無言でアプリを開く。女友達からのメッセージに後ろ暗さがあるわけではないのだと言わんばかりに、素早く。そして、さっきの続きを目にしたであろうタイミングでチッと舌打ちをした。
「あー、涼矢くんの悪いくせ」
「何が」
「舌打ち。感じ悪いよ」
「別におまえのせいじゃない」
「そうだとしても聞いた人は気分悪いでしょうが」
「……悪い。気をつける」
「素直でよろしい」和樹はそう言うと涼矢の側に回り込み、一緒に画面を見た。「ああ、これで舌打ち」
[ 哲ちゃん、明後日の便で帰ってくるって。響子と、おかえり会をしようって話してるの。数日間は東京のご実家にいるみたいだけど、その後はこっちに来るって言ってたから、来週あたりどうかな? ご都合お知らせください ]
「ご都合ったって、不参加の選択肢はないってことだよな」
涼矢は不服そうに言う。
確かに、来週は無理だと言えば、それなら再来週、となるだけなのだろう。千佳の文面からはそう読み取れた。
「涼矢はいつ帰る予定だっけ」
和樹がスケジュールアプリを確認するより早く、涼矢がボソッと「来週」と答えた。
「示し合わせたみたいだな」
「んなわけないだろ」
「つか、明後日は東京にいるってことか」
「和樹、おまえまさか、今度は出迎えに行く気じゃないだろうな」
見送りには行った。和樹だけが、羽田空港まで。
「行かねっつの」和樹は笑う。「そうだ、帰国のこと、倉田さんに教えてあげれば?」
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