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第1022話 contrail(7)
「するかよ。連絡先も知らねえし」
「知らないんじゃなくて削除したんだろ?」
「どっちだっていいだろ。だいたいあいつらは別れたんだから」
「そうだけど、嫌い合って別れたんじゃないし。今なら事情も変わってるかも」
「事情?」
「ほら、奥さんに子供が生まれたら離婚するんだって言ってたろ。そろそろ独身に戻ってるんじゃない?」
「そうかもしれないけど、俺たちとは関係ない」
「それはそう」
涼矢は画面から和樹に視線を移す。和樹はニヤニヤしていた。
「……おまえ、わざと言ってんな?」
「やっとこっち向いた」
「なんなんだよ」
「眉間に皺寄ってる」和樹は涼矢の眉間を指先で伸ばすように撫でた。「いいんじゃないの、旧交を温めれば」
「必要ない」
「じゃ、それ、断るの?」
「……」
哲と再び親しくなりたいわけではない。けれど、留学前に哲が涼矢に残していった「伝手」が役に立っているのも事実だった。わざわざパソコンまで持参して、和樹の部屋からオンライン参加しようとしている司法試験対策の自主勉強会だって、そのひとつだ。
「返信しないと。既読スルーは良くないんじゃない?」
和樹の声に涼矢は我に返る。
「和樹は嫌じゃないわけ?」
「涼矢と哲が会うこと? まあ、二人きりは嫌だけど、千佳ちゃんたちが一緒なら、ってところかな」
「そっか」
それでもまだ涼矢は思案顔だ。
「あ、そしたら」和樹が何か思いついたようだ。「俺とおまえと、三人で会おうよ」
「は?」
「だから、明後日とか、しあさってとか、東京にいるうちに」
「なんで」
「どっちにしろ千佳ちゃんたちと会うのは断れないだろ? だったらいっそ先に三人で会って、お互いわだかまりを消して」
「あいつはわだかまってねえだろ」
「……そうかもしれないけど、いちいち気にするより建設的だろうが。卒業まであいつと顔合わせないでいられんの?」
「それは……」
できなくはない。たとえば司法試験を諦めれば、講義やゼミで一緒になる確率は下げられる。でも、自分の夢を賭ける価値がある相手とは思っていないし、そんなことをすれば、そうと知った和樹は自分を責めることになるだろう。
「……和樹がそれでいいなら」
狡い言い方だ、と涼矢は思う。自分で蒔いた種なのに。
「けど、東京って、実家かな」
「そうじゃねえの?」
「そうだよね」
年の離れた弟妹とは、父親が違う。その義理の父親が初恋だった。報われることのない恋を置いてきた「実家」に、少しは哲の居場所もできただろうか。
「だから東京にはそんなに長くいないと思う」
同じことを考えていたのだろう、涼矢が補足した。
「だろうな。……で、そっちではどこに住むわけ?」
「さあ。またどっかで住み込みのバイトでもするんじゃないの」
「俺たちが心配することでもないか」
「ああ」
相変わらず哲に関しては人一倍素っ気ないと和樹は思い、相変わらず哲のことでさえその身を案じるのかと涼矢は思う。
そうして結局、和樹の提案通り、哲が大学に戻る前に顔を合わせることになったのは、三日後のことだった。
「間借りすることになってる。大学の近くで、昔からそういう学生を世話してるうちがあって」
哲はこともなげに答えた。
「大丈夫なのかよ。学生寮とか無理って言ってたのに」和樹が言う。「魔性の哲ちゃんだっけ。トラブルメーカーなんだろ」
「同世代の奴、いないもん。ばあさん一人暮らしのところに、俺だけ。今はそういうの希望者少ないみたいだし、ばあさんも年だから積極的には募集かけてなかったらしい。俺も帰国前に知り合いに聞いて回ってさ、やっとその情報もらった。安いから助かる」
「おばあさんなら大丈夫か」
「なんだよ、田崎まで。俺は年寄りには優しいのよ」
しゃべっている間も、哲は箸を止めることなく食べ続けている。久しぶりに会うに当たり、哲が行きたいと希望したのは、ごく普通の定食屋だ。日本食が恋しいのかと思っていたが、時間が経つにつれ、どうやら価格の安さを重視した結果らしいと分かってきた。
「そこなら、そのおばあちゃんがごはんも作ってくれるとか?」
和樹は興味と皮肉を兼ねて尋ねる。
「いやいや、そう甘くない。頼めば作ってくれるみたいなんだけど、その分は追加料金だし、それ以外にも買い物とか電球交換とか、ばあさんができない雑用やらされる」
「でも、その分安い」
「そうそう」
「向こうではどうしてたんだ?」
今度は涼矢が聞いた。
「最初の三ヶ月はホームステイで、あとは学生寮」
「寮生活できるんじゃん」
和樹が茶々を入れる。
「まあね。留学生ばかりの寮だから、そこは気楽で楽しかったよ。でも、うちの大学の寮って厳しいし狭いし、なんかめんどくせえみたいだから」
「そうなのか?」
同じ大学とは言え、自宅から通学している涼矢は知らないらしい。
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