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第324話 NOISE(22)

 和樹は涼矢の言い様に呆れたように笑うしかない。「俺はエミリのこと、もう気にしてないけどなあ。」  涼矢はようやく顔を覆っていた手を離し、和樹を横目で睨むように見た。「エミリは違うだろ。別につきあってもいないし、嫉妬される筋合いはない。」 「嫉妬? おまえが綾乃のこと嫌いなのって、嫉妬?」 「それ以外に何があるんだよ。だから嫌だって言ってんだよ。自分がそういう、ネチネチ嫉妬するような人間だって思い出すのも嫌だし、おまえのそういう鈍感なところもムカつくから。」だから、口にしたくなかった。自分の醜さを和樹に知られたくなかった。でも、少し気が変わってきた。そんなところも含めて自分を見てほしい。その上で受け入れてほしい。そんな欲が出てきてしまった。 「涼矢のほうがよっぽど鈍感だろ。」和樹はなんてことないことのように、そう言って笑った。そんな些細な仕草が、どれほど涼矢の不安を吹き飛ばすものなのか、知らないままに。 「そんなことないね。」涼矢も和樹に合わせて、軽く返す。 「おまえさあ、自分がどうして、夜中に車走らせて、ここまで来る羽目になってるのか、忘れたのかよ。」  嫌いだの鈍感だのという発言を、和樹がそう気にしていない様子に安堵していた涼矢は、その指摘に押し黙った。調子に乗り過ぎた、と思う。――そうか。鈍感なのは俺のほうか。いや、本当は和樹は鈍感どころか、誰より人の気持ちに敏感だ。和樹が本当に鈍感だったら、俺が告白したところで、俺の気持ちを掬い取ってくれることもなかっただろう。それに引き替え、俺と来たら、自分の気持ちばかり優先で。平気で人を傷つけて。今回だって、それで和樹を悲しませて、だからここに来たってのに。鈍感てのは、俺みたいなのを言うんだよな。和樹の言う通りだ。  黙り込んだ涼矢に、和樹は少し焦っていた。言い過ぎたか。こんな軽口の言い合いの時に、まだお互いの傷も生々しい「哲のこと」を持ち出すのはフェアじゃなかった。それに、エミリのことにしてもそうだ。確かにエミリと涼矢は、俺と綾乃の関係とは違うわけで。  ごめん、と言おうとした時に、涼矢が先に「ごめん。」と呟いた。 「いや、ごめん。俺が。」和樹も慌てて言う。 「俺のこと……。」 「好きだよ。大好き。」 「うん。俺も。」和樹が焦って必死な表情を浮かべるのを見て、つい「特に顔が。」と付け加えてしまった。自分の機嫌を取るために和樹がこんな必死な顔さえしてくれる。それが嬉しい。 「それはもう分かったよ。今更顔の話なんか、どうでもいいだろ。もう、すぐ顔の話にするんだから。」  ところが涼矢は、再び和樹のほうに顔を向け、更には和樹の頬に手をやり、強引に顔を自分に向けさせて言った。「顔は大事だよ。朝起きた時、最初に目に入るのは好みの顔のほうがいいだろ?」 「まぁた、そういうメンクイ発言する。やっぱ俺、年取ったら捨てられそう。」 「好みの、って言っただろ。必ずしも美形じゃなくていい。俺は和樹が好きだから、和樹の顔が好きで、だから、朝起きた時には和樹の顔を一番に見たいって話。」 「ハゲても?」 「ハゲても、太っても、シワシワでも、シミだらけでも。」 「そんななっても、一緒のベッドで寝て、起きてくれんの?」 「そうだよ。」 「……もっとデカいベッド、買おうな。」和樹が微笑む。「そんな風に、一緒に住む時には。」 「うん。」でも、正直に言うと、今のこの窮屈なベッドも嫌じゃない。セミダブルとは言え、大柄な自分たちだと、ちょっとでも動けばお互いの肌に触れずにいられないサイズ。寝返りでもしようものなら、相手に抱きつきそうになるサイズ。  涼矢は寝返りを打つように体を半回転させて、和樹に抱きついた。頭を抱きかかえて、自分の胸に押し付けた。髪の匂いを嗅いで、こめかみと額にキスをした。 「なになになに。」和樹は急にそんなことをされて、半分笑いながらそう言った。 「うん。なんとなく。」 「なんとなくで、人を抱き枕みたいに。」 「抱き枕か。いいね。」もう一度ぎゅっと抱きしめた。足もからめた。「ごっつごつの抱き枕だけど。」 「抱き心地、悪そう。」 「そんなことない。」和樹の頬と、耳と、耳のピアスに、キスをした。「抱き心地は最高。」 「おまえが言うとエロい。」 「エロい意味で言った。」鎖骨と、肩に、キスをした。 「もしかしてまだ寝かせてもらえない? 俺、明日も1限からあるんだけど。」和樹はそう言いながら、枕元のスマホで時刻を確認した。深夜2時になろうとしていた。だが、セリフや行動とは裏腹に、涼矢のキスも愛撫も、嫌がっている様子ではない。 「まだ18だろ。俺より若いんだから頑張れ。」2月生まれの和樹は18歳、夏に誕生日を迎えていた涼矢は19歳。半年と少しの間だけ、涼矢が年上ではある。 「30にしたり18にしたり、勝手過ぎる。」 「嫌ならいいけど。俺より睡眠を取るって言うなら。」愛撫する手を止め、探るような目をして、涼矢が言う。 「勝手過ぎる。」和樹は同じ言葉を繰り返して、涼矢を抱き返した。  結局2人がきちんと眠りに就いたのは、それから更に1時間近く経過してからのことだった。

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