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第326話 SMOKE(1)
「カメラの設置とか、やめてよね。」和樹は半笑いで言った。
「名案だ。秋葉原あたりに行けばあるのかな、そういう、監視カメラとか盗聴器とか。」
「犯罪だろ。いいのかよ、弁護士の卵が。」
「卵にすらなってないよ。あと、盗聴も盗撮も、それ自体は犯罪じゃない。盗聴罪や盗撮罪なんてもんはないんだ。」
「そうなの?」
「盗聴で言えば、盗聴器を仕掛けるためにこっそりしのびこんだら住居侵入罪だし、和樹の持ち物を改造して仕込んだら器物損壊罪。でも、ただ盗聴するという行為は犯罪じゃない。」
「マジかよ。」
「だって電波は誰でも受信できちゃうからね。無線愛好家がたまたま他人の話し声をキャッチしたからって、犯罪者にするわけに行かないだろ。」
「なんか納得できねえな。」
「和樹が納得しなくてもそうなってる。つまり、俺が悪意なく和樹の生活音を盗聴したって罪には問われません。以上。」
「悪意、ないか?」
「ないよ。善意と好意しかない。」
「悪意のほうがマシだな。」
「ひっど。ま、そんなことはしないけど。」
「俺に気付かれるようなやり方はしない、だろ?」
「さあ、どうだろうね。」涼矢はスピードを落とし始めた。昨日停車したあたりに近づいたのだ。
昨日と同様に、和樹がキャンパス内に入っていくまでを見届けた。
さて、どうしようか。車を走らせながら、涼矢は考える。
和樹に言ったように、買い物は昨日のうちにあらかた済ませた。着の身着のまま急いで行けという哲の助言を聞き入れて、勉強道具も持ってきていない。夕方6時までの約9時間をどう過ごせばいいのだろう。
もちろん、外出禁止を言い渡されたわけでもない。美術館でも例の喫茶店でも、好きな所へ行ったっていいのだ。それは分かっていたけれど、和樹を訪ねてやってきたのに、単独行動をするのは気が進まなかった。きっとどこへ行っても、和樹と来たかった、和樹に見せたかった、そんな消化不良を起こして帰ってくることになるに違いなかった。
涼矢は結局ガソリンスタンドに立ち寄っただけで、和樹の部屋に戻った。食べ損ねていた朝食を食べる。食パンを、トーストもせず、何かを挟むでもなく、ただそのまま、もそもそと口に運んだ。その味気なさを取り繕うようにみかんも食べた。コーヒーを飲んだ。それから部屋を見渡した。前回、図書館から借りてきた本を山積みしていたところに、新しい本が数冊、積まれていた。涼矢はタイトルも見ないで、その山の一番下の本を抜き取り、それを持って、ベッドにごろりと横になった。
涼矢は、一番下にある本は、和樹が真っ先に読み終えた本だと推測していた。数冊の本のうち、一番に和樹の興味を引いた本を読みたいと思ったのだった。
話題のドラマや映画の原作か。それとも大きな賞を獲得した作品か。そのどちらかだろうとあたりをつけたが、それは経済学の入門書だった。
ベッドの上から身を乗り出して、他の本の背表紙も見てみると、そこにある5冊のうちの4冊までもが、経済関係の本だった。1冊だけはそうではないものがあったが、それは小学生への指導方法といった教育者向けの本だった。
――真面目だな。
和樹が大学の専門科目やアルバイトのための本をわざわざ読んでいるという事実は、意外な気もしたし、すっと納得できるものでもあった。和樹はちゃらんぽらんなようでいて、やらねばならないことには正面から向き合う。高校時代、遅刻の常習だったのも、部活の基礎練習をよくサボったのも事実だが、そういった自分が損することには手抜きをしても、試合や後輩指導といった「相手が困る」場面では、人が見ていようといまいと、全力を尽くして当たっていた。
だからきっと、経済の勉強を頑張ろうとしているなら、それは和樹が経済学に目覚めた……と言うよりは、それをサボって留年でもすることで、仕送りしてくれている家族を落胆させたくないとか、そういう動機なんだろうと思う。もしかしたら俺に対する誠意でもあるかもしれない。いつか、2人で暮らす日のために、自分のできることには全力を尽くす。そういう気持ちの表れ。
教育書にしてもそうだ。そんな本を読まずとも、それなりに生徒の人気もあって、先輩の先生方にも可愛がられている様子だ。所詮バイトなんだし、そこまでしなくてもいいはずだと思う。でも、そうやって和樹を慕うこどもたちのために、やれることをしてやろうと思うのだろう。
一方で、そこまで考えて、これらの本を読んでいるとも思わない。和樹としては、無意識なんだと思う。その素直な優しさと真面目さの、なんといじらしいことか。
涼矢はベッドの上に寝転がり、仰向けになって経済学の入門書を読んだ。学術書ではなく、学び始めた人向けに平易に書かれたその本は、案外とおもしろく、涼矢は次第に夢中になった。ハードカバーのそれは重くて、仰向けで読んでいるうちに腕がだるくなり、うつぶせになった。そんな風に姿勢を変えたことも自覚しないほど、涼矢は集中してそれを読んだ。
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