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第328話 SMOKE(3)

 アルバイトを始めるにあたり、当然、連絡先は伝えてある。だが、実際に電話で連絡を受けたのは、これが初めてのことだった。 ――○○塾の早坂です。今、大丈夫ですか。学校でしょうか。 「休み時間なので、大丈夫です。」 ――では、手短に。シフトの件、金曜日は大丈夫だと久家から聞いていますが、その後、変更はありませんか。 「……はい。」やっぱりか。涼矢のために空けておいたのだが、仕方がない。 ――実は、お願いしたいのは授業ではないんです。 「え?」 ――小嶋先生のお母様、今日、お亡くなりになりました。 「あ……。そう、ですか。」何と言うべきなのか分からなかった。ご愁傷さま、という言葉は知識としては知っているが、実際口にしたことはない。それに相手が小嶋ならいざ知らず、早坂にもその言葉を言っていいものなのだろうか。そんなことを考えていると、早坂が話しだした。 ――葬儀場の都合で、お通夜は明日に、告別式は土曜日になりました。それでですね、お願いというのは、私の代わりに通夜に行ってもらえないものかと。 「お、俺がですか。」 ――小嶋は喪主なので身動きできません。久家にもそちら優先に動いてもらうつもりです。告別式は授業のない時間帯なので私が行きますが、明日は小嶋と久家の代講で他の先生方は手一杯ですし、私も授業があります。私の代わりに通夜に行っていただれば、大変助かるのですが。 「俺でいいんですか。」 ――小嶋も久家も曲がりなりにも役員です。それなのに勤務先の者が誰も出ないのでは、肩身の狭い思いをさせてしまうかもしれません。ただでさえ彼らは一族から良く思われていませんからね。都倉先生なら、彼らの立場もご存知ですから、そういった意味も含めて適任かと。 「あの、でも、俺、あんまりそういう、作法とか、分からなくて……大丈夫でしょうか。」 ――ああ、そうですよね。お若いし、葬儀の経験なんてないですよね。まあ、前の人の真似をしていればなんとかなるものですが、そのへんも含めて、明日、塾に立ち寄っていただけますか。お香典も預けたいので。17時前後が都合が良いのですが、いかがですか? 「大丈夫です、行けます。……あっ、喪服がないです。黒い服ならいいですか? 黒いシャツとブラックジーンズなら持ってるんですけど。」 ――ジーンズはまずいです。先日のスーツでいいですよ。通夜ですから、地味な色合いなら本格的な喪服でなくても問題ありません。黒いネクタイは明日、私のをお貸ししましょう。  和樹が小嶋から譲り受けたスーツは、チャコールグレーだ。和樹の年齢にしては落ち着き過ぎているぐらいの渋い色。それがこんな形で役に立つとは皮肉なことだと和樹は思う。  その後、葬儀場の場所を簡単に聞いて、早坂との電話は終わった。 「なあ、喪服とか言ってたけど、葬式に行くのか?」渡辺が言う。 「あ、うん。バイト先の人の家族が亡くなって。」 「家族の葬式にまで行くのか? バイトなのに?」 「塾だから、葬式ったって授業を休みにはできないだろ。体が空いてるのが俺だけなんだよ。」 「まあ、それでバイト料出るならいいか。」 「あ、聞かなかった。」 「タダ働きかよ。」 「いや、分かんない。……けど、葬式なんだからさ、バイト代が出るかどうかとか、そういうことじゃないんじゃないの。」 「だって、一緒に働いてた仲間本人が死んだっていうならともかく、その家族だろ? 全然関係ない、知らない人だろ? 悲しいとか、ないじゃん。」 「知らない人だけど……関係なくはない、と思う。」小嶋の母親は、未来の自分の母親かもしれない。涼矢の親は理解してくれているけど、俺はまだ、親には言えていない。今はまだ、すんなり理解してもらえる自信がない。 「何それ。」 「亡くなったのは、ベテランの先生のお母さんで、俺からしたらおばあちゃんの年代の人だけど、その先生から話は時々聞いてたから、ちょっと、親近感持ってた感じ。」渡辺に事実を伝える気も起きず、そんな風に言い繕った。 「都倉、おばあちゃん子かよ。」 「そうそう。おばあちゃんっていいだろ。」 「ストライクゾーンが広いなあ。おまえみたいな奴がそこまで広げるから、おこぼれに預かりたい俺が困るんだよ。」  渡辺のそんな発言は、いつもなら配慮の足りない、うっとうしさを感じるものだったが、今回ばかりはその無神経さに救われる気がした。  和樹は予定通りに6時を少し回って帰宅した。 「おかえり。」涼矢はベッドにうつ伏せになったまま答えた。本を読んでいたようで、その本から視線すら外さない。 「玄関まで飛んできて、チューのひとつもしろっての。」靴を脱ぎながら和樹が言う。涼矢は振り返り、朝、起きた時と同じく、のっそりとベッドから降りた。そして両手を広げた。 「おかえり、マイハニー。」  和樹は靴を雑に脱ぎ捨てると、上着も脱がず、斜め掛けのバッグも下ろさず、一直線に涼矢の胸に飛び込んだ。「ただいま。」涼矢の背中に手を回し、その胸に顔を埋めて、こすりつけるようにした。 「わ、なんだよ、ホントにそんな風に来るとは思って」照れ笑いをしながらそう話しかけて、涼矢は黙る。和樹がいつまでも顔を胸に押し付けたまま、動かなくなったからだ。しばらく待ってもそのままなので、恐る恐る「どうしたの。」と聞いた。 「死んじゃった。」和樹はくぐもった声で答える。

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