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第336話 SMOKE(11)

 佐江子の実家は、和樹にも話しているように、何かと揉め事の多い家だ。本家だ分家だとうるさいことを言うが、実のところ資産なんぞは田舎の土地をいくばくか有しているに過ぎない。それだって大半は売るにも売れない山林で、現在管理を任されている叔父は、固定資産税がどうの、たまに出没するらしい「松茸泥棒」だの「筍泥棒」だのの対策がどうのと、文句ばかり言っている。それでいて、その土地に執着し、自分が深沢の正当な当主であることを主張し、地域の伝統行事には見栄で大金をはたいて地元の名士を気取りたがる、いかにもな田舎の地主だ。  それに比べれば田崎の家はだいぶ"都会的"な感覚だが、それは親族に国家公務員が多く、転勤が多いせいもあったかもしれない。数年ごとに移り住み、方言に馴染む間もなく次の土地へ。正継と佐江子も、こどもを持つ、という目標を定めて今の家を買って落ち着くまでは、正継の異動に伴って2人で各地を転々としていたらしい。そのこともまた、土地に縛られている深沢の叔父にしてみれば、「勝手気ままにいつまでも遊んでいる」ように映り、佐江子への敵意の一因にもなったのだが。  一方の田崎の親戚は、そうやってそれぞれが離れた土地に住んでいるものだから、個々に連絡を取り合って会うことはあっても、正月だからお盆だからといった理由で、定期的に一堂に会するようなことはなかった。唯一そういったことがあったとすれば、その叔父の葬儀だったと言える。  検事である父親もそうだが、「お堅い」肩書の多い一族の中で、芸術家として生き、果ては日本を離れた叔父は、さぞかし変わり者として扱われていたことだろうと想像する。けれど、もしかしたら、それはミヤさんの奇抜なファッションと同じく、ある種の煙幕でもあったのかもしれない、と今更ながら思う。見た目や言動の突拍子のなさに気を取られた他人は、それ以上、その奥の「本質」を知ろうとはしない。 ――死んだ人のことは、分からないけれど。  また、そんなことを考える。でも、それなら、良いほうに考えるのだ。あの外国人の青年は、叔父が愛した人かもしれない。叔父を愛してくれた人かもしれない。弔うためなら、遠い日本まで来るのも厭わないほどに。  涼矢はまたそこで気づく。彼は、あの葬儀の場で、自分の近くにいた。つまり親族席だ。正継は喪主席にいた。間に何人かの親戚がいて、親族席の末尾のほうに、佐江子、そして自分。その次に彼がいた。その後にも遅れて到着した親戚が何人か、続きの席に座っていったように思う。涼矢は中学生だったが、慣れている相手にさえうまく話しかけられないのに、初対面の外国人に話しかけられるはずもなく、また話しかけたいとも、彼が何者かと知りたいとも思っていなかった。葬儀の席順も知らなかったし、ずっと忘れていた光景だ。だが、今なら分かる。あの席は「身内扱い」の席だ。少なくとも同僚や友人の席ではない。  彼のことを、父親はどういう存在として扱っていたのか。死んだ叔父の気持ちは分からなくても、生きている父親になら聞ける。でも、それを聞いてどうするのか。佐江子が渉の死によって同性愛者への理解を深めたように、父親も弟の死をもって何か考えるところがあったのか。だから和樹とのこともあんなに、あっさりと受け入れてくれたのか。  思えば、正継とは和樹との付き合いに関して直接話していない。すべて佐江子からの伝聞だ。だが、おそらく佐江子は正継の発言のニュアンスを恣意的に曲げたりはしないはずだ。母親が語った通りの反応を父親はしたのだろう。『涼矢が素敵な彼氏を連れてきたんだから、誇らしく思っていればいいだろう』『涼矢はいつでも私たちの自慢の息子なんだから』。そういうことを、いかにも言いそうな親父だ、と涼矢は思う。だが、そんな言葉をすらすらと言えるまでに、親父がどんな経験をしてきたのかまでは知らない。  理解ある両親。それは何にも代えがたい、ありがたい存在なのだとは思う。だが、その理解と引き替えに、渉や叔父の命が必要だったとするなら、自分の性の在り方は、それほどまでに罪深いのかと落ち込まざるを得ない。 「ふぃい。」と妙な声を出しながら、和樹がバスルームから出てきた。「さっぱりした。」と独り言のように言う。 「あ、じゃ、俺も。」涼矢も入れ替わりでバスルームに向かった。  涼矢が部屋に戻ると、和樹はスーツとワイシャツの前に立っていた。「ワイシャツ、このままでいいかなあ。ちょっと皺んなってるけど。」 「ズボン穿いたら見えなくなるところだから。気になるならアイロンしておくけど。」 「じゃあ、まあ、いっか。」 「1枚だけ?」 「こういう、白無地はこれだけ。」 「そっか。明日おまえがいないうちにかけとくよ。いっぺん帰って着替えるって言ってたよな?」 「うん。でも、いいよ。」 「皺のところだけ、かければいいんだろ? いいよ、やっておくよ。俺が無理にお願いして着せた責任があるからな。」 「そんな、責任なんて。」和樹は口の端だけで笑った。

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