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第340話 SMOKE(15)

「2人の写真はほとんどなくてね。これと、そのスーツ着て撮った記念写真だけです。」久家は心なしか少し淋しそうにそう言い、スマホをしまった。「今はいいですよね、気楽にスマホで自撮りもできるし。私はもう、今更撮りたいとも思わないですけど、都倉先生は今のうちにたくさん撮っておかれるといいですよ。」そして小さな目でウィンクらしきことをして「要らなくなったら簡単にデータ削除だってできますからね、今は。」と言った。 「久家さん。」2人の背後に、誰かが立ち、頭上から女の声が聞こえた。見上げると、「議員さん」だという小嶋の妹がそこにいた。「今日は母のためにわざわざありがとうございます。受付もやっていただいたようで。もう、こちらは大丈夫ですから、お帰りになって結構ですよ。あとは身内でやりますので。」口調こそ丁寧だが、明らかに嫌悪の感情がその声には含まれていた。特に最後の「あとは身内で」という言葉にははっきりとした悪意が込められていた。 「はい、分かりました。」久家はそんな態度にも動じずに、いつもながらの穏やかな口調で答えた。「もう少ししたら、英機さんに確認しておきますよ。」  女性の眉が一瞬不愉快そうに寄るが、すぐに貼りついたような笑顔に戻った。「確認するまでもありません。兄は喪主で忙しくて、いていただいても相手もできませんし。あとのことはきちんとわたくしどもでいたしますから、どうぞお気遣いなく。」  要は早く帰れと言っているのだ。和樹にもそれは分かった。「あの。」 「はい?」突然出てきた見知らぬ若者を、彼女はどう扱うべきか戸惑っている様子だ。 「僕は、小嶋先生の勤務先でお世話になってる、講師の都倉と言います。今日は、あの、ご愁傷様でした。」和樹がぺこりと頭を下げると、彼女は慌ててその場に正座して、丁重に頭を下げて「本日はありがとうございました。」と言った。名乗ったところで、こんな挨拶ではどこの誰とも分からない若者には変わらないであろうに、そのような振る舞いを躊躇なくやってのけるあたりは、地域有権者にはやけに親切に振る舞う「市会議員」としての習性かもしれなかった。 「僕は、知人に車で迎えに来てもらうことになってて、久家先生も家まで送ることになってて、だから、あの、僕と一緒に、最後までここでいさせてください。これも、亡くなった方の、く、供養ですし。」通夜ぶるまいもまた供養なのだと、聞いたばかりの説明を言ってみた。  彼女は顔色を変えるでもなく、にっこりと笑ってさえみせた。和装の喪服と相俟って、何やら"極道の女"でも思い起こさせるような凄みのある笑顔だ。「ええ、もちろん、ゆっくりしてくださって結構ですのよ。久家さんにはずっとお手伝いいただいて、お疲れじゃないかと思っただけですの。」言うだけ言うと、さっと立ち上がり、返事も聞かずに立ち去って行った。  彼女の耳に届かない距離まで離れたのを確認したところで、久家が「気を使わせちゃったね。」と言った。 「ひどいですよ、あんなの。」和樹は膝に置いた手をきゅっと握りしめた。「だって、久家先生は身内じゃないですか。」 「彼女にとってはそうじゃないんですよ。」 「こんな時にまであんな態度って、人としてどうかと思います、俺。……世の中の人全員に認めてもらうのは難しいって分かってます。けど。」 「ありがとう、きみがそう言ってくれるだけで充分ですよ。」久家はそう言って微笑み、また煙草に火をつけた。そして、「きみたちのこれからは違うと思います。」とぽつりと言った。 「えっ。」 「今のことは、都倉先生を不安にさせてしまったと思うんだけど、時代は変わっています。私は確かにいろいろなものを諦めてしまっていて、ああいう人たちとは分かりあえないまま終わる覚悟もしています。でも、これがきみたちの将来なのかと悲観しないでいただきたい。諦めないでほしい。自分はできなかったことを、きみに託すのはおかしなことだとは思いますがね、もし私や私たちのことを、心配してくれるのだとしたら、是非、きみたちには私たちができなかったことをしてほしいと思うんです。」  それから間もなくして、小嶋がその場にいる人たちの前で喪主としての簡単な挨拶をすると、閉会となった。小嶋はなんやかやと話しかけてくる人たちをすり抜けて久家のところに来た。「お疲れさん。仮眠室取ってあるけど、どうする?」 「今日は帰るよ。明日早めに来る。」 「了解。……じゃあ、都倉先生、今日はありがとうね。気をつけて帰ってください。」 「はい。」  それだけの挨拶で、和樹たちはその場を離れることになった。涼矢に迎えの連絡をしそびれたことを思い出して、メッセージを送った。 「久家先生、さっきの話ですけど、本当に車で迎えに来てもらうんで、良かったら一緒に。家はどこですか。」 「武蔵境のほうです。三鷹の先。でも、いいですよ、遠回りだし、迎えに来るのってさっきの彼氏でしょ。お邪魔だから。」久家は笑った。 「大丈夫ですよ。ただ、今連絡したばかりだから、こっちに着くまで待ってもらわないといけないですけど。」 「本当にいいの? 悪いね。」和樹は久家と建物の外にあるベンチに座った。スタンド灰皿のところでまた、久家が煙草に火を付けた。「その彼と一緒に住んでるんですか?」 「いえ。今はたまたま、こっちに来てもらってて。あの、向こうは地元なんです。X県。」 「遠いんだ?」 「はい。」 「いつからのおつきあいなの?」 「高校の時です。同級生で、卒業間際の時に、その、そうなって。」 「へえ。それですぐ東京でしょ。ええと、半年ちょっと? よく続いてるね。」 「ええ、まあ、なんとか。」

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