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第343話 SMOKE(18)

「ここのところはさすがに手が回らなくて、散らかっているけれど。」久家が先頭を行く。その後についていくと、リビングに通された。散らかっているといっても、不衛生な印象はなく、むしろ男所帯にしてはこぎれいにしていると言って良かった。ただ、いたるところに書類や新聞、それから介護用の紙おむつなどが無造作に積まれている。テーブルの上にも、病院や介護施設、役所関連の書類が山と積まれていた。一番上にあるのは葬儀関連のものだった。久家はテーブルのものだけは、ひとまとめに抱えて隣室に移動させた。それから、リビングにつながっているキッチンでお湯を沸かしはじめた。 「あ、お清めの塩、忘れてた。」と和樹が言った。冠婚葬祭の知識には乏しいが、葬式帰りの親が玄関先でそんなことをやっていた記憶はあった。 「小嶋の家は浄土真宗なので、ないんですよ、それ。」 「あ、そうなんですか。」 「そうなんです。」久家は再び隣室に消えたかと思うとすぐに戻ってきた。喪服の上着とネクタイが消えている。それから冷蔵庫を開けた。「ここ数日は病院と行ったり来たりで、ろくなものがないなあ。何か出前でも取りますか。都倉先生、あれじゃ足りないでしょう。田崎くんだっけ、あなたは、夕食は?」 「いえいえ、いいです。そんなつもりはないんで。」和樹は首を振った。涼矢も同様に首を振った。 「私は、ちょっと失礼して。」久家はコンビニの袋からビールのロング缶を出した。それから、さきいかや柿の種といったつまみも。だが、どれも食べ切りサイズの小袋だ。それを見ると、久家は「やっぱり何か取りましょう。この時間ならまだ頼めますから。」と言って、戸棚から出前のメニューをいくつか取りだして、和樹に見せた。蕎麦屋にピザ店、中華に寿司屋と揃っている。「どれでも、お好きな物を。」 「おまえ、ラーメン食いたがってなかった?」涼矢が言った。 「え、でも。」和樹は久家への遠慮から言葉を濁した。 「ラーメン? いいですよ。その店、味も悪くない。お勧めは坦坦麺。」 「あ、じゃあ、俺はその、坦坦麺。」和樹は涼矢にメニューを渡した。「ちゃんと、払いますから。」 「ラーメンぐらい、ごちそうしますよ。送ってもらったし、お礼も兼ねて。」久家が笑った。「田崎くんも坦坦麺?」 「辛いのちょっと苦手なんで……。この、海老塩ラーメンてのにします。」 「餃子やチャーハンは?」 「いえ、お寿司食べたし。あ、おまえはみかん食ったんだっけ?」和樹は久家と涼矢を交互に見た。 「気が付いたら立て続けに3個食ってた。手が黄色くなりそう。」涼矢は自分の手の甲を見た。  それを久家は笑いながら見て、「そう? じゃあ、私が酒の肴になんか頼むから、一緒につまんだらいいよ。」と言い、メニュー片手に電話をかけに行った。スマホだけで生活している和樹には、少しだけ懐かしい気もする、ファックス付きの固定電話だ。  久家が電話を済ませると、キッチンで淹れたお茶をお盆に載せて戻ってきて、和樹の前の椅子に座った。お茶を勧めながら、「飲み物がこんなものしかないのだけれど。」と言った。 「いえ、逆に、すみません。疲れてるのに、お邪魔しちゃって。」 「お2人も、お疲れさまです。」久家は缶ビールのプルタブを開けた。「献杯。」と言って、その缶を目の高さまで持ち上げた。 「ケンパイ?」 「亡くなった時には、乾杯ではなくて、献杯です。貢献とか献上の献。」 「賢くなりました。献杯。」和樹に合わせて、涼矢も湯呑みを掲げた。そして久家はビールを、2人はお茶を飲んだ。 「同級生って言ってたっけ?」久家が涼矢に話しかけた。 「はい。」 「車で来たんですか? X県から、東京まで。」 「ええ、まあ。」 「新幹線のほうが楽じゃない?」 「そうですね。今回は、ちょっと……夜中に出発したもので。」涼矢は言いにくそうに言った。  その躊躇いを、久家は照れ隠しだと思ったようだ。にこにこと「一刻も早く会いたかったってところですか?」と言った。  涼矢は答えに窮して、助けを求めるように隣の和樹を見た。その和樹は、明らかに涼矢の視線に気づきながらも、何も言わない。涼矢は少しムッとして、和樹の脇腹を肘でつついた。 「さあ、どうなんですかね。会いたかったの?」和樹も笑みを浮かべて涼矢を見た。だが、こちらは、にこにこと言うよりはニヤニヤだ。  涼矢はため息をついた。それから髪を掻き上げ、和樹の視線からも、久家の視線からも逃れるように斜め下を向いて、ぼそりと言った。「会いたかったですよ。俺が悪いんですけど、謝りたくても着拒までされて、連絡取れなかったんですもん。それがやっと連絡来て。」  慌てたのは和樹だ。そこまで暴露するとは思っていなかった。「なにキレてんだよ。」 「悪いことを言っちゃいましたかね。」久家が困ったように笑う。 「いえ。そんな。」和樹は久家に対しても慌ててフォローの言葉を考えるが、上手い言葉は思いつかない。 「私たちも、ありましたよ、そういうこと。」と久家が言い出した。 「そうなんですか。ケンカなんてするんですか?」 「最近はさすがに大きなケンカはしないけど、昔はしましたよ、しょっちゅうしてました。私はわがままだし、向こうは頑固だし。一度ケンカすると何日も口利かないなんてことはザラでした。ちっとも男らしくないケンカ。」 「男は細かいことを気にしないとか、ネチネチしてないとか、あれ、嘘ですよね。」 「そうそう、嘘です。男のほうがよっぽどネチネチしてる。嫌味を言ったり、昔のことをいつまでも蒸し返したりするのだって、決して女性の専売特許じゃない。」  和樹は涼矢を見た。本人としては、無意識だ。 「なんで俺を見るんだよ。」涼矢が和樹の視線に抗議すると、和樹と久家が同時に笑い出した。

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