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第345話 SMOKE(20)

「そのこと、小嶋先生は知ってるんですか?」 「はい。私が小嶋の家に行くと、必ず理恵ちゃんが紅茶淹れてくれたり、手作りのクッキーくれたりして、そんなことするのは私の時だけだって言って。それでね、そのうち、妹をその気にさせておいて、つきあう気がないなら、もう家に来るなと言い出してねえ。結果的にはそれがきっかけで、私は理恵ちゃんじゃなくてヒデさん目当てなんだってバラす羽目になりまして。」そこまで言って、久家はふいに赤くなった。「あれ、何を言ってるんでしょうねえ、私は。酔っちゃったかな。」 「つまり、それでつきあった? 久家先生が告白したんですね?」和樹はからかうように言った。 「まいったなあ。」呼び名を聞いた時と同じように久家は薄い頭を掻いた。「都倉先生、誘導尋問がお上手なんですよ。」 「そんなことないです、久家先生が。」 「私が自分からペラペラしゃべってるって?」 「そんなことは言ってませんけど。」 「ま、昔の話ですよ。」 「久家先生のうちは? 先生のご両親は、2人のこと……?」問いかけながら、和樹は後悔しはじめていた。つい調子に乗って言ってしまったけれど、人には触れられたくないことだってあるはずだ。ここまでオープンに話してくれている久家先生が、今まで一言も言っていない部分……。  和樹が言い淀み、表情が暗くなったのを見て、久家も何かを察したようだ。「うちはね、大丈夫だったんです、最初から。」あっけらかんとそう言った。 「えっ?」 「私は兄弟が多くてね。6人兄弟の4番目です。だからといって特別貧乏ということもなく、親父は会社経営していて、経済的には恵まれているほうだったと思います。社会人になるまでは、習い事でも何でも、やりたいことは大抵やらせてもらえました。ただ、親父の方針として、世襲はしない、自分の力で一国一城の主を目指せと言うのがありまして。どんな小さい会社でも店でも一人親方の職人でもいいから、とにかく人の下でなく、自分で食い扶持を稼いでこそ一人前、という教育を受けました。親父自身が裸一貫から成り上がった人だからでしょうね。それで、あとのことは好きにしろと。同性愛だろうと独身だろうと、そんなことは自由だったんです。実際兄弟みんな、業種は違いますが、自営業です。私は肩書は早坂の下ですが、まあ、一応起業メンバーの一員ということで、誤魔化してます。結婚してこどももいる兄弟もいれば、独身貴族もいますし、何度も離婚再婚を繰り返している奴もいます。だから、私がこういうことになっても、あっそう、ってなものでした。」 「そうなんですか。」 「はい。おかげで、私は家族に本当のことが言えない、と思い悩む経験はせずに済みました。普通は、そのへんがやっぱり、一番ネックでしょう? 同性とつきあうということに関しては。」  和樹は涼矢を見た。今度はニヤニヤはしていない。それから久家を見た。「はい。……彼の親は、大丈夫なんです、けど。」またチラリと涼矢に視線を投げた。「うちは、まだ。あ、でも、兄貴は、知ってます。応援もしないけど、邪魔もしないって言ってくれてます。どこまで理解してくれてるのかは分かんないけど、理解してくれようとしてるのは、分かります。」 「すごいじゃないですか? 田崎くんの親御さんに、都倉先生のお兄さん。もうそれだけ家族に理解者がいるなら立派なもんだ。小嶋なんて親が死んだって妹はああですよ。」久家はにっこりと微笑み、言い聞かせるように言った。「焦らなくていいんですよ。それだけ分かってくれる人がいるのは、きっときみたちの今までがそうさせているんです。今まで通りに、お互いを信じていればいいんです。」 「あ……。はい。」和樹はふっと気持ちが軽くなるのを感じた。今の段階でいくら説明したところで、涼矢の親のようには理解してくれないであろう自分の親。そのことが、どこか後ろめたかった。このままだったらどうしようと焦る気持ちもあった。それらを久家の言葉は払拭してくれた気がした。 「和樹、そろそろ。」涼矢が壁の時計に目をやった。 「ああ、お引き留めしてすみません。」 「こっちこそ、こんな時にお邪魔して、ごちそうにまでなっちゃって、すみません。」と和樹が言った。 「いえ、それは、さっきも言ったように、とてもありがたくて。」久家はゆらりと立ち上がった。酔っているのかと心配したが、歩き始めるとその足取りはしっかりしていた。玄関まで見送りに出るつもりなのだろうと和樹たちが椅子から立ち上がると、久家は2人にまだ座っていろと言うようにジェスチャーをした。「あと、煙草1本吸う間だけ、つきあってください。」そう言うと、キッチンの換気扇の下に移動した。そこで煙草に火をつけて、換気扇を回した。ふう、と煙を吐くと、その煙は瞬く間に換気扇に吸い込まれていった。「明日には、お母さんも、こうなっちゃうわけです。」 「えっ?」和樹が声を上げた。 「明日には焼き場に行って、肉体は骨の欠片となり、魂は煙になって天へ上る。」 「悲しいですね。」 「うん。悲しいね。でも、西洋式に土に埋められるより、そっちのほうが、私はいいなあ。生きてる間は、空を飛ぶことだけはできないでしょう。でも、煙になっちゃえば、ねえ。いかにも天に召される感じで、いいと思うなあ。」  今、久家の口から吐き出される煙は、瞬時に頭上の換気扇に消えていく。明日、小嶋の母はもっとゆっくり天に上って行くだろうか。和樹はそんなことを考えた。でも、想像するその光景は、決して悲しいものではなかった。青空の中に吸い込まれていく誰かの魂。それはきっと美しいものだと思う。

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