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第351話 いつか晴れた日に(6)
「昼飯は?」
「帰ってから、ここで食いたいなぁ。1時ぐらいには……遅くても1時半ぐらいには戻れると思う。」
「分かった。」
「あ、それと、今日は送らなくていいよ。」
「なんで?」
「すぐ帰ってくるしさ。昼飯作ったりとか、慌ただしいだろ。」
「どんだけ俺に凝ったもん作らせる気だよ。適当な丼物やパスタだったら、30分もあれば作れるよ。」涼矢が苦笑する。
「大変だったらそれもしなくていいし。ほら、例の喫茶店行ったっていいしさ。」
「留守番の間は、ゴロゴロしてるだけだよ。おまえが疲れてんじゃないの。葬式で、いろいろ、緊張して。」
「いや、そんなことは。」言いかけて、和樹は少し口ごもった。「……でも、そうだな。疲れてんのは、俺だな。」和樹は、涼矢の胸にもたれた。「今回のこと……小嶋先生のお母さんのこと、おまえがいて、良かったよ。俺一人だったら、どうしていいか分かんなかった。」
「俺は何もしてない。」涼矢は和樹の肩を優しく抱いた。
「一人じゃなかったってだけで。」
「うん。」涼矢は和樹の背中をあやすようにトントンと叩いた。そして、痛切に思う。近くにいてやりたい。誰よりも和樹の近くに。一方では、そう思いつつも、和樹は一人でだって何でもできることを知っている。一人じゃなくて良かった、心強かった。それも本心なのだろうけれど、仮に自分がここにいなくたって、和樹はなんとかしたはずだ。自分と出会う前だって、つきあう前だって、和樹は率なくなんだってやり遂げてきたのだから。
でも、そのことが、いつか二人で生きていくことの妨げにはならないはずだ、と思う。一人じゃ生きていけないから、お互いをよりどころにして支え合うんじゃない。一人でも生きていける者同士が、二人ならもっとうまくやっていける。そんな日々のために、俺たちは。
――俺とおまえは対等で、おまえの身体も心も、おまえのものだよ。俺だってそうだよ。人生だって別々だよ。ただ、俺は、おまえと同じ方向向いて、お互いのことを想いながら歩いて行きたい。
和樹に言われたそんな言葉が、今の涼矢の心の支えだ。
――どうしたって離れて暮らさなきゃいけない俺たちにとって、"別々でも大丈夫なんだ、それでも想い合えるんだ"という言葉が、どれほど俺を救ってくれているか、分かっていないんだろうな、おまえは。
そんな気持ちをないまぜにして、涼矢は和樹の背中をさすり、「そろそろ時間だろ?」と言った。
和樹は、残ったわずかな身支度、たとえば歯磨きなどを済ませて、玄関で靴を履く。履き終わって、体を起こすと、「じゃ、行ってくるね。」と快活に言った。
「ん。行ってらっしゃい。」
和樹が涼矢の腕を引っ張り気味にして引き寄せて、キスをした。「はっきり起きてるよな? 行ってきますのチュー、ちゃんと覚えててくれよ?」
涼矢はクスッと笑って、「当然だ。」と言った。
和樹は大学に行き、普段通りに講義を受けた。それなりに顔見知りとは挨拶するが、長話をするつもりはなく、そそくさとその場を離れる。ただ、サークルに関しては、涼矢の「哲問題」以降、活動に参加していない。一番の山場である学園祭まで1ヶ月を切った今、修羅場に差し掛かっているはずの状況で、さすがに気が咎めて、少しは部室に顔を出そうと思っていた。そこで活動をするつもりはない。「明日までは何も出ない、来週以降頑張る」ということを伝えるために行くのだ。そうしておかないとひっきりなしにメッセージが来て、切りがない。
部室を開けると、数人の先輩がいた。同学年もいる。そのうちの一人は例の渡辺だ。学園祭のパンフレットを、スポンサー企業をはじめとした関係各位に郵送する作業をやっている真っ最中だった。挨拶状とパンフレットを角2の封筒に入れる。その時、自分たちのサークルのブースに来てもらえれば飲み物と引き換えるというチケットを入れる。宛名シールを貼る。そういった細々とした作業だ。横並びに送付状を折る人、それを封入する人、パンフレットを必要部数入れる人、その必要部数をチェックして伝える人等々がいる。
「都倉のブロマイド引換券でも入れておいたほうがいいかな。」と、「ドリンク引替券を入れる人」の渡辺が言った。和樹は深く考えずにその隣に入り込んで、渡辺の作業が間に合わないでいる分を補助していた。10分程度手伝ったところで用件を切り出せばいいだろう、と目論んでいた。
「そんなんで来る奴、いるかよ。」と和樹は苦笑した。
「そうかな。結構集まると思うぜ。」
「えっ、ダメだよ。」パンフレットの部数をチェックしていた彩乃が言った。彩乃は長い髪をひとつに束ね、服装もジーンズ姿で普段より地味でラフだ。今日はこういった作業をするから、それに合わせてきたのだろうか。目立つ役回りだけを要領よくこなして、面倒なことは"信奉者"の男子にでもやらせそうなルックスだが、案外真面目に活動しているらしい。「都倉くんは、うちのサークル代表として、ミスターコンテストに出てもらうんだから。ブロマイドの配布なんかしたら、不正行為とみなされて失格しちゃう。」
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