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第354話 いつか晴れた日に(9)
「何ですか、急に。」涼矢が笑った。
「充電。」和樹は涼矢の背中に額をぐりぐりと擦りつけた。
「はいはい、お疲れさま。」
「うん。もう、今週は感情の振り幅が大きくて、めっちゃ疲れた、正直。」
「半分は俺のせいだな。」
「9割だっつの。」
「うん。」涼矢は自分の胸に回された和樹の腕に、手を重ねる。「ごめん。」
「ああいうの、心臓持たねえから、ホント勘弁して。」
涼矢は振り返り、和樹と向き合った。「お詫びに食後のコーヒーをごちそうする。あの店、行こ?」
和樹はふふっと笑った。「おまえが行きたいんだろ?」
「嫌? もう今日は出歩きたくない?」
「そんなことない。行こう。俺もあの店、おまえと行ったっきり、行ってないんだ。」
「えっ、そうなの?」
「うん。だって、あそこ微妙に高いしさ、休みの日じゃないとモーニングは間に合わないけど、そういう日は遅くまで寝ていたいし。それに、次に行く時は、やっぱ涼矢と行きたいと思ってた……つか、その。」後半、和樹は照れて小声になっていき、涼矢から体を離した。
「ありがと。」涼矢は和樹の頭をいいこいいこするように撫でた。
「ちょ、髪崩れるだろ。これでもセットしてんだよ。」
「乱れ髪もセクシーで好きだよ。」涼矢は和樹の頬にキスをすると、和樹の衣類収納ケースのほうへと歩き出した。勝手に着替えを物色しはじめる。「ズボンは自分の穿いていくから、上だけ貸して。」
「ああ、どうぞ。」
和樹も涼矢と入れ替わりに収納ケースを覗いて、着替えを出した。2人して着替えをする。
「涼、いかがわしい感じに仕上がってんな。」パジャマにしていたTシャツから、長袖Tシャツに着替えるべく、上半身裸の状態の涼矢を見て、和樹が言う。
「は?」
「キスマーク。」
涼矢は自分の脇腹を見る。痣のようなものが見える。きっと他の個所にもあるのだろう。「……ああ。そうだな。まあ、見えるところにしてなきゃ別に。」
「あるよ。首と肩の間らへん。シャツなら隠れるけど、その丸首じゃ見える。」
「マジで。」
「こっち着る?」和樹は自分の着替え用に出したハイネックを見せた。
「うん、まあ、そう言うなら、そのほうがいいな。」
和樹は涼矢にハイネックを渡し、その足で洗面所に行って鏡を見た。襟ぐりをひっぱって、キスマークを探す。「俺は大丈夫だよなあ?」
「たぶん。鏡見て、なけりゃないだろ。」
「たぶんって。おまえのしたことだろ。」
「いちいちどこにキスマークつけたかなんて覚えてねえよ。」
「うっわ、ひっでえ。」
「おまえ、覚えてんの?」
「そんなの覚えてるわけねえだろ。」
涼矢は、洗面所から戻ってきた和樹と顔を見合わせて笑う。それから、ふいに和樹の後頭部に手を回して、顔を引き寄せた。「な、何だよっ。」和樹が驚いていると、涼矢はその首筋にキスをして、肌を吸った。「あ、てめ、おい!」和樹が慌てて涼矢を振り払う。
「ちゃんとそれ着ていけよ。」口を離した涼矢はニヤリとした。すぐさま再び洗面所に行こうとする和樹を、涼矢は羽交い締めにして止めた。「大丈夫、今のキスぐらいじゃ、キスマークになんないよ。」
「一応、確認させろ。」
「だめ。」
「気になるだろ。」
「気にしてろよ。」
「本当におまえ、ひどい。」和樹は抵抗を諦め、パーカーを着て、ファスナーをぴっちりと上まで上げた。「絶対これ脱がねえ。」
涼矢はその様子を楽しげに眺めつつ、バッグを手にすると、和樹より先に玄関を出た。和樹もぶつぶつと文句を言いながらそれに続いた。
喫茶店は、夏に来た時と同じたたずまいで、そこにあった。カランコロンとドアベルを鳴らして、中に入る。
「いらっしゃませ。」と落ち着いた渋い声が響く。その後に「あ。」と小さな呟きも聞こえた。マスターは「いらっしゃい。」と、さっきより少しだけ高いトーンでもう一度言った。「空いている席、どうぞ。」
ランチタイムは過ぎていて、店内は2人客が1組、テーブル席にいるだけだ。和樹たちはカウンターに座った。
「ご無沙汰してます。」と和樹が言った。
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