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第356話 いつか晴れた日に(11)

「奥さんはF市って言ってましたよね。」それは和樹と涼矢の地元の県にある市だ。涼矢の母方の実家がある市でもある。 「ええ、そう。でも、もうみんな都会に出ちゃって、そこには誰もいません。そんなわけで、うちは帰省ってのをもうしないし、旅行にでも行けたらいいなと思うんですが、店があるとそれも難しくて。まして、今年は赤ん坊がいるから。」ぼやく内容でありながら、それはどこかどこかノロケのような、嬉しさをまとった口調だった。  そうこうしているうちに2人ともケーキを食べ終え、コーヒーも飲み干した。約束した通りに涼矢が会計を済ませて、店を出る。いつものようにドアのところまでマスターが見送りに来てくれた。 「じゃあ、明日は気を付けて帰ってください。」マスターが涼矢に向かってそんな一言を言い、後は通り一遍の挨拶を交わしただけで、2人は店を後にした。特別な常連として扱ってほしいというのでもないが、マスターのそんなあっさりした対応は少し拍子抜けの気がした。だが、その程度の距離感が大事なのかもしれないとも涼矢は思う。顔も覚えてもらえていないとしたら心外だが、かといって行くたびに特別扱いされては却って気軽に店に行けない。 「久々に行ったけど、あんまり変わってなかったな。」と和樹が言った。  そこは涼矢も同感だ。夏鈴のケーキが復活していたにせよ、店の雰囲気は以前と何も変わっていなかった。「そうだね。マスターが所帯じみたわけでもないし。」 「このまま帰る?」と和樹が言った。もう既に足は和樹のアパートに向かっている。 「どこか寄る?」 「いや、別に。」 「あ、ハンバーグか。ハンバーグの材料買わなきゃな。玉ねぎはあるけど、肉がない。」 「そういうつもりで言ったわけじゃないけど。」和樹は笑った。 「でも、ハンバーグ食べたいだろう?」 「うん。」和樹はますます満面の笑顔だ。 「すっげえ素直。」涼矢も笑う。「さすがハンバーグ最強。」 「またそうやって馬鹿にする。」 「してないよ。」  そんな会話をしつつ、2人は方向転換してスーパーに向かった。ハンバーグ作りに不足している材料とジュースとドリップバッグ式のコーヒーを買った。それも涼矢が払うと言ったが、結局和樹が支払った。涼矢が引き下がったのは、和樹の「俺だって、こういう時のためにバイトしてるんだから。」という言葉だった。  そういうところは相変わらずだな、と涼矢は思う。いくら甘やかそうとしても、最後までは甘えてこないところ。かといって、最初の頃のように、何でもかんでも対等にしようと意地を張るばかりではなくなった。変わったところと、変わらないところと。あの喫茶店と同じく、和樹も、きっと自分も、そうやって時を積み重ねていく。  部屋にたどりつくと、涼矢は早速下ごしらえを始めそうな勢いで、冷蔵庫に直進した。 「まだ4時だよ。早いだろ。」窓の外だってまだ明るい。 「下ごしらえまで済ませておけば、楽だから。」 「でも、やだ。」和樹はベッドに飛び乗るように座った。「こっち来て。」和樹はベッドの上に足を伸ばして、その太もものあたりを叩いてみせた。 「もう。」涼矢は冷蔵庫から材料を取り出すのをやめて、逆に買ってきたものをしまった。それから、和樹のところに向かう。「やんの? 今から?」 「やんなくていいから、ちょっと、くっついていたい。つか、もう少し言い方考えろ。」 「だって。」 「いいから、黙って。」和樹は涼矢をハグした。涼矢も和樹の背に腕を回す。そうやって抱き合ったまま、ベッドに倒れ込んだ。和樹は涼矢を抱く腕に、ぎゅう、と力を込めたが、それ以上のことはしない。 「また、充電?」 「うん。」 「随分"持ち"の悪いバッテリーだな。」涼矢の言葉は、昼食を食べた後にも和樹がそんなことを言っていたのを指しているのだろう。 「違うよ、どんどん、使用電力が大きくなって。」 「え?」 「だから。」和樹は言いかけて黙る。 「だから、何?」涼矢はきょとんとした表情で問うた。詰問するでもなければ、わざと困らせて楽しんでいるでもなく、純粋に分からない、といった様子だ。  和樹は涼矢の胸に顔を押し付けるようにして、つまり表情を見せないようにして、もごもごと言った。「だから、好きってのが、どんどん大きくなるから。」  涼矢は不意打ちの甘い言葉に面食らう。今の気持ちを、どんな言葉でも正しく言い表せるとは思えず、何も返せないでいた。 「何とか言えよ、人には言わせておいて。」和樹は涼矢の胸元から上目遣いで涼矢を見た。その表情がまた、涼矢の言葉を失わせる。でも何か言ってやらなければとは思うから、池の鯉のように口をパクパクさせた。和樹に睨まれても、「あ……うん。」と、結局そんな返事しかできなかった。 「好きだよ。」和樹が重ねて言った。「そんで、おまえが俺のこと好きなのも、分かってるよ。」 「う……うん。」 「なんでそんな鳩が豆鉄砲食らったような顔してんだよ。」 「いや。その。」涼矢は和樹の肩をぎゅっと抱いて、和樹の頭を自分の胸により強く押し付けた。

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