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第362話 いつか晴れた日に(17)

「近くなったら、また連絡する。」 「うん。」  和樹はテレビをつけて天気予報をやっている局にチャンネルを合わせた。「東京もあっちも天気はいいみたいだな。来た時みたいなことにはならないで済みそう。」 「ほんと、なんであの時だけ、よりによって台風。」 「しかも関東南部のみ。」 「晴れてよかった。」涼矢は気象予報士の背後に広がる青空を見つめて、そう呟いた。――来た時みたいな天気じゃ、帰る気力を奮い立たせるのも一苦労だったはずだ。気持ちが塞いで、こんな風に穏やかな気持ちではいられなかっただろう。そういえば昨日も天気は良かった。小嶋先生と言ったか、あの人のお母さんも、青空に吸い込まれて行けたに違いない。  ぼんやりとテレビ画面を見つめていた涼矢の頬が、ふいに冷たくなった。「つめてっ。」 「皿洗いしたから、手、冷たいだろ。」頬に触れたのは和樹の手だった。その上に涼矢は自分の手を重ねた。 「お湯で洗えばいいのに。」 「お湯だと手荒れするのよ、あたし、デリケートだから。」和樹は裏声で言った。 「ゴム手袋でもすれば。」 「面倒。ゴム臭くなるし。」 「ああ、臭くなるよな、ゴムって。」 「違うもん思い浮かべてるだろ。」 「うん。」 「むっつりスケベ。……いや、むっつりじゃないか。」  涼矢は和樹の手が少し温まったところで、重ねていた手を離す。和樹も頬から手を離した。「どうせうるさいんだろ、そういう時だけは。」 「うるさくはないけど、よくしゃべる。」和樹は隣に座る涼矢の手を取り、両手で挟んだ。 「何?」 「おまえの手はあったかいな。」 「普通だろ。さっきはおまえの手が冷たかっただけで。」 「来た時は、すげえ、冷えてたから。ほっぺたも、手も。」  嵐の中ずぶ濡れで現れた涼矢。それはほんの数日前のことだ。涼矢はそれにどう答えていいか分からず、黙っていた。もうずっと前のような気がする。着信拒否をされて絶望的な気分になったことさえ、今となっては悪い夢でも見ただけなんじゃないかと思う。そう思った次の瞬間には、夢扱いなんかしちゃだめだと自戒した。あれは現実だ。和樹を傷つけたことを忘れちゃいけない。 「あんな風に急に来て驚いたけど、なんか、あれで良かったのかな。」 「え?」  和樹は涼矢の手を離して、今度は自分の両手を祈るような形に組んだ。その指先をくっつけたり離したりしながら話し出す。「会った時、どういう顔したらいいんだろうって思ってた。俺から着拒しておいて、来るのかなんて言ったり、そのくせ電話はしたくないとか、いろいろ勝手なこと言って悪いなって思ってたし、でも、おまえのしたことに腹も立ててたし、けど、許してたし、だからってなかったことにはしたくなかったし。なんかもう、頭ん中グチャグチャで。おまえが来たら、どう出迎えたらいいんだろう、何から話せばいいんだろうって思ってたら、おまえ、夜中にずぶ濡れで来て。余計なこと考える余裕なかった。」  それは俺も同じだ、と涼矢は思った。余計なことを考える余裕もなく、和樹の姿を目にしたら抱きしめていた。余計なことを引き剥がしたら、和樹のことが好きだという気持ちだけしかなかった。 「ああいう時でも、おまえは優しいんだなって思った。」涼矢は呟いた。「おまえは誰にでも優しいけど、俺には特別に優しいって思ってても、いいのかな?」  和樹は驚いたように涼矢を見て、それから苦笑した。「当たり前だろ。おまえは俺の何だと思ってるの。」 「こっ。」と言ったら、急に咽喉の奥が詰まったようになって、声がかすれた。「こい、びと?」 「意外そうに言うなよ、馬鹿。」和樹は涼矢のこめかみを小突いた。それで勢いをつけたように、立ち上がる。「なあ、動物園行かない? 井の頭動物園。」 「そんな時間ある?」 「2時間ありゃ行って帰れる。リベンジしなきゃ。」涼矢の返事を待たずに、外出着に着替えはじめた。 「リベンジ?」 「モルモット触りたい。」 「ああ。」涼矢は笑って立ち上がった。「車で行って、そのままどっかで飯食って帰ろうかな。」 「うん。」着替え終わると、玄関に向かう。「じゃあ、この部屋とはここでバイバイだね。」 「そうだな。」涼矢は振り返る。今回はこれといった荷物も置き土産もない。財布とスマホを入れたバッグひとつを手にして、部屋を出るだけだ。 「ん。」と顔を突き出す和樹に、キスをした。たぶん、これが今回最後のキスだ。  日曜日の吉祥寺では駐車場探しに一苦労したが、なんとか空きを見つけて車を停めると、そこからは徒歩で動物園に向かった。天気はいいが、外気に当たると肌寒い。動物園に入るとそれなりに客はいて、午前中のこの時間は幼児連れのファミリーが多そうだ。和樹は一目散にモルモットコーナーに行く。  夏休み期間だった前回とは違い、今日はあまり人がいない。まばらな親子連れに紛れて、和樹は臆することなく、一匹のモルモットを抱き上げ、用意されている板状のベンチに座った。涼矢もその隣に座る。

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