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第367話 君と見る夢(4)

「ええ、そうです。不登校の子でね。塾には来るけど、学校にはほとんど行けてない。夏休み明けは何日か行けていたんですが、その後五月雨登校になって、10月に入った頃からは全然。」 「それって学校の先生の管轄じゃないんですか。」 「当然そっちとも話はしてるんだけど、不登校の一番の理由は担任の先生なんですよね。だから学校よりもうちのほうが相談しやすいというわけでして。……ああ、この話、講師の情報共有として話しますけど、他にはオフレコです。本人にも、都倉先生も知ってるとは気づかせないようにしてください。今、とても微妙な時期で、本人はできるだけ周りに知られたくないと思ってるので。」 「あ、はい。」 「学力的には問題ないのにね、このままだと内申つかないから、受験できる高校も限られるんですよ。」 「そういう場合って、通信制とか?」 「それも選択肢のひとつです。ただ、本人は、部活とか修学旅行とか…つまり中学ではやれなかったことがしたいとは思っているみたいだから、やっぱり全日制の普通科がいいと思っています。幸い、今はいろんなスタイルの学校がありますし、なるべく本人の希望に沿った学校を探してあげたいものですね。これから、そのあたりを話し合います。」 「大変ですね。塾の先生がそこまでケアするなんて知りませんでした。」 「そうは言っても、僕たちにできることなんか限られてるから。こういうことは、一番苦しいのは本人なんですよ。不登校のことも、何より親御さんに迷惑かけているのが一番辛いって言う。そういう真面目で優しい子ほど、なかなか世の中と折り合っていけなかったりするものでね。……ああ、そろそろ約束の時間なので、すみませんが、後のことはお願いします。上の奥の教室にいますから。」 「はい。」いつもは頼りなく映る猫背が、こんな時は力強く広く感じられる。上の階に移動するためにドアに手をかけた小嶋の背中を見つめていると、ふいに小嶋が振り返った。 「僕たちは年を取っていくけど、ここに入ってくるこどもたちの年齢は一定でしょ? 年々年齢差が広がるにつれて、どうしたって、価値観がズレてしまうんですよ。昔は通った理屈が今の子には伝わらないということも、まま、あります。変わらないのは、この年頃の子は、大人だというだけで敵認定して身構えてしまうってところぐらいです。悩みを抱えている子は特にね。だから、都倉先生のように、年の近い先生というのは、大事なんです。僕には言えないことでも、きみには言えるという子もいるかもしれない。そういう子の声を聞き逃さないでほしいですね。」  一方的にそう言って、小嶋は出て行った。  小嶋のこういうところに。久家に対しても、早坂に対しても同様に、和樹はかなわないと思い、憧れもする。だから、少しでも近づきたかった。本を数冊読むだけでは到底追いつけないのは分かっている。でも、ただ指示通り動くだけの"今時の若者"だと軽蔑されるのは嫌だった。  不登校に識字障害。その2人に限らず、こんな小規模の塾の中だけでも、何かを抱えたこどもたちはいるんだろう、と和樹は思う。  自分はそういった問題とは無縁だった。学校は楽しかったし友達もたくさんいた。部活も修学旅行も特別な経験だなんて思うこともなく、当たり前のものとして受け止めてきた。もちろん嫌いな奴はいたし、学校に行きたくない日だってあったけれど、まあまあうまくやってきたし、大概のことは良い思い出だ。  自分は、ずっと"普通"だったと思う。その"普通"は多数派という意味であって、決して"まとも"という意味ではないのだと、最近ようやく分かってきた。自分が"多数派"ではない恋をして、初めて。それも涼矢が与えてくれたもののひとつだ。それを知らないまま生きていったら、どれほどの人を傷つけたか分からない。そう思っていてさえ、ついさっき、ミヤちゃんを危うく傷つけかねなかった。ミヤちゃんや涼矢は、それでも"生き延びてきた"強さがある。直撃をかわす知恵も、言い返す術もある。けれど、今塾で教えているこどもたちは、まだ幼くて脆い。たぶん、涼矢だってそういう時期を経て、今がある。――あいつらにも、涼矢のような強さと知恵を持ってほしい。何か悩んでいる子にこそ。そのために俺にできることがあるなら。それは、こうして図書館で本を借りて読むぐらいのことなんだけど、そのぐらいのことは、しなきゃいけないような気がする。  帰宅して、借りてきた本を読む前に、受け持っている生徒の顔を頭に浮かべた。平安時代に生まれたかったと言っていた、おませな風香。その友達のアユ。アユとつきあっている野球部の糸井。それから、明生や菜月をはじめとした小6の面々。その本を借りる動機となった男の子もそこにいる。  彼らが出会う大人の一人として自分がいること。しかも「先生」と呼ばれる立場として存在すること。今更ながら、その責任の重さに愕然としてしまう。経験の浅い自分にできることなんてたかがしれてるけれど、それを言い訳にしてはいけないのだと思う。小嶋先生が言ったように、自分のその若さが、未熟さが、こどもたちの心を開く武器になるならいい、と思う。

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