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第377話 君と見る夢(14)

 和樹はその場で宮脇に電話をしようとして、やめた。とりあえず部屋に帰ろう。駅のホームで話すようなことじゃないし、電話して何と言えばいいのかもまだ整理しきれていない。  部屋に辿り着き、届いていたDМを中も確かめずに無造作に捨て、シャワーを浴び、歯を磨いた。歯ブラシ立てに涼矢の歯ブラシはもうない。夏に置いていったそれを、結局10月に来た時も使って、今度こそ捨てていったらしい。気づけば、いつもなら涼矢に電話するなりメッセージを送るなりする時間帯だった。だが、今はその気になれない。和樹はベッドを背もたれにして床に座った。天井を見上げて、まぶたを閉じて、そのまぶたを手で押さえた。はあ、と大きなため息が出た。  それから姿勢を直して、意を決して宮脇に電話した。 ――トックン?  宮脇はすぐに電話に出た。 「いきなり電話してごめん。今日は、ありがとう。」 ――いえいえ、こちらこそ、ごめんね。あたしが余計なことしなかったら優勝できたんじゃない? 「そんなことないよ。鈴木に聞いたんだけど、ミヤちゃんの名前がたくさん投票されたらしいよ。」 ――いやん、本当に? 「来年は出馬しなよ。」 ――それもいいかもね。ところで、元気なくない? 何かあった? 「いや……うん、あの、実はさ、ちょっと聞きたいことがあるっていうか。」 「あら、どうぞ、あたしに分かることなら。」 「ゴムなしでヤったら、エイズになるかもしれないんだよね? それが何年も前のことで、今は何の症状もなくても。」 ――ああ……。  宮脇はほんの2、3秒の間を置いたが、からかうでもなく、問い詰めるでもなく、話し出した。 ――ええとね、エイズになるってより、HIVに感染してるかって話だと思うんだけど、まあ、聞きたいことは分かってると思う。ちょっと乱暴な言い方ではあるけど、トックンの言う通りよ。バージン同士だったら心配ないとは思うけど。あ、麻薬の回し打ちとか輸血とか、そういう感染経路を無視できるなら、って話ね。心当たりがあるなら、HIV検査は大抵どこの保健所でもやってると思うし、費用もかからない。匿名でも受けられるよ。 「そっか。分かった。」和樹は安堵するような、反対に不安がより一層募るような、複雑な思いに囚われた。 ――それと、サッキーとか……他にもそういう相手がいるなら、その人にも検査してもらったほうがいいよ? 「……あいつは、俺だけだから、俺が大丈夫なら、あっちは心配ない、と思う。俺が……前に付き合ってた子とちょっと。それで、なんか急に心配になっちゃって。」 ――そう。 「でも、もし俺が、そうだったら、俺が誰かに……つか、あいつに、また感染させてるかもしれないってこと?」 ――そうね。特に、コンドームなしでアナルセックスしたり、アナルを舐めたりしてたらね。腸や肛門は膣よりウィルスを防御するのに向いてないの。ゲイに感染者が多い理由のひとつがそれ。  生々しい単語の羅列のはずなのに、ちっともそんな風には聞こえない。まるで医者から難しい病名を宣告された気分だった。  黙り込む和樹に宮脇が続けた。 ――あのね、トックン。今、それを不安がれるのは、いいことなのよ。発症して初めて感染を知る人が多いから。もし感染していたとしても、発症前に分かったほうが、より効果的な治療ができるし、パートナーにうつしてしまうリスクも減らせる。そもそも感染してないって分かれば、心から安心して愛する人と過ごせるでしょ? 「……うん。そうだよね。ありがとう。」 ――こっちこそありがとね、あたしに聞いてくれて。 「だって他に聞ける人いないし。」 ――一番嬉しい言葉。そういう人の力になりたいんだ、あたし。やろうとしてるのは、そういうこと。 「うん。とにかく、ありがとう。ちゃんと結果報告するよ。」 ――それは無理しなくていいよ。言いたくなったら聞くし、黙っていたかったら黙ってて。不安な時はいつでも話、聞く。 「ありがと。」 ――今日のトックン、ありがとうの大安売りね。 「安売りじゃないよ、心から言ってるよ。」和樹は笑った。 ――そう、そうやって笑ってるのが一番健康にいい。 「はは、そうだね。じゃあ、また、明日。」 ――うん。学祭の最終日、がんばろうね。  電話を切る寸前の宮脇の言葉を聞いて、和樹は思った。  そうだ、そもそもミヤちゃんも自分も、学祭実行委員会というサークルの仲間なんだった。お互い、あまりこのサークルの活動には熱心じゃなかったけど、それがなかったら、知り合うこともなかったはずの相手だ。明日は俺も、後片付けぐらいはせいぜい頑張って手伝うとするか。鈴木にも彩乃ちゃんにも迷惑かけたしな。  宮脇に電話を掛けた理由も一瞬忘れて、そんなことを考えたその時に、着信があった。涼矢だ。和樹は一呼吸置いて電話に出た。

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