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第379話 君と見る夢(16)
――帰ってこいよ。宏樹さんだって淋しがってる。
「おまえは?」
――俺は、夏と、この間と、会ってるし。
「帰るよ。」和樹は自分に言い聞かせるように言った。「俺は淋しいから。もし冬期講習やれって言われても断る。」
――和樹さんらしくもないことを。
「俺らしいよ。実に俺らしい。場当たり的に言うこと変えてさ。流されやすいんだ。」
――なあ、どうしたの。誰かにいじめられたの? 本格的に変だよ。
「いじめられてはねえよ。」和樹は乾いた声で笑った。「ごめん、もう、切るわ。」
――……うん。風呂にでもゆっくり入ってさ、リラックスすればいいんじゃないの。
「風呂はもう入った。」
――そっか。
「涼矢。」
――うん?
「好きだよ。」
――はい。俺も好きだよ。
「また連絡する。」
――うん。おやすみ。
電話を切った和樹は、すぐさま検査の予約方法を調べた。隔週の水曜日と、月1回の土曜日。和樹が受けられるのはそのどちらかのようだ。土曜日のほうが都合はよかったが、今月の受付日は過ぎてしまっていたので、直近の水曜日に受けることにした。
正直、怖い。怖いが、すぐに行動に移さないと、いつまでも先延ばしにしてしまう自分が容易に想像できた。涼矢が期限を切ってくれたおかげでもある。――涼矢は俺のずるさも、だらしなさも知っている。その上で、何も気づかないふりをすることもあれば、こうしてハッパをかけてくる時もある。どっちにしろ、それはいつだって俺のためだったりする。俺はあいつのために何がしてやれるのか。今まで、何もしてやれてない。せめて、あいつを心から愛したい。後ろ暗いところのない愛し方をしたい。それだって、できてるつもりだった。それなのに、2年も前の、たった1週間の、あのことが、今になってこうして。
眩暈のような不快感を覚えて、和樹はベッドに倒れるようにして横たわり、そのまま眠った。
予約はすぐに取れた。検査時間が平日の午前だったから大学の講義はあったが、不幸中の幸いで犠牲にするのは1コマだけのようだ。そうして検査を受け、1週間後の同時間帯に結果を知らせると言われたので、翌週も同じようにした。
結果は、陰性だった。だからといって、今後も注意すべきことは何ら変わらないのだと言う話を聞かされて、啓蒙パンフレットを渡された。その足で大学へ行った。心なしか足取りは軽い。
サボったはずの講義は、まだ20分ほどあるが、今更教室に入っていく勇気はない。そこまで遅刻したら、出たところで所詮欠席扱いだ。次の講義までどう時間をつぶそうとキャンパスを歩いていると、同じ講義を受けているはずの友人が歩いているのを見つけて、声をかけた。
「ああ、今日、臨時休講。先生、ぎっくり腰だって。」
それを聞いて、少しほっとした。2週連続の欠席はやはり成績に関わってくる。
今すぐにでも涼矢に報告したい、そんなことを思うが、そもそも何故、そんな検査を受ける気になったのかの説明から始めねばならない。ミサキの件は、どうしたって涼矢を不快にさせるだろう。
だから、まずは宮脇に報告をした。大学のカフェテリアに入って、空いた席に座る。昼時を外した空いている時なら、注文しなくても席は利用できた。宮脇も講義中だろうからと、端的に結果だけを知らせた。
[陰性だった]
[そう!! よかったね 一安心]
教授の目を盗んで送信したのか、それとも講義中ではないのかは不明だが、返事がすぐに来た。それだけでいい、と思ってスマホをしまおうとしたが、宮脇からは連続でメッセージが来た。
[これからは 今までよりもっと 大事にしてね][自分のことも 相手のことも]
[うん][ありがとう]
それだけ返事して、今度こそスマホをしまう。
どうしてだか、佐江子の顔がチラついた。何故こんな時に? そう自問自答する。それから佐江子の声が頭の中に響いた。
『涼矢を傷つけないでね。』
『あなた自身のことも、大事にしてね。』
『自分を大事にできないうちは、他人を大事になんかできないんだから。』
――ああ、そうだ。今のミヤちゃんと同じようなことを言われたんだ。
忘れもしない。初めて涼矢の家に泊まり、それが佐江子にバレた朝。そうだ、あの時既に、佐江子は避妊目的でなくてもコンドームを使えと言っていたのだ。何とも感じなかった。いや、もちろん、いきなりほぼ初対面の「彼氏」の母親にそんなことを言われて、何とも感じないなんてことはありえないのだが、とにかく「親に見つかった」「バレた」ということに気が動転していて、それ以上の言葉の意味など考える余裕はなかった。
それでも、少しだけ落ち着いた時に言われた、「大事にして」という言葉については重く受け止めて、噛みしめた、はずだった。
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