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第381話 君と見る夢(18)

――良かった。  涼矢はあっさりと答えた。 「良かった。」和樹も同じ言葉を繰り返した。「俺は。俺は、いいんだ。いや、よくはねえけど、自業自得って面もあるし。けど、もしかしておまえにうつしてるかもとか、それ考えたら、ホントに、不安、で。」 ――うん。 「ごめんな。」 ――なんで謝るわけ? 「だって、俺の、その、軽率な行為が。」 ――軽率な行為。  涼矢はそれを繰り返して、少し笑った。 「若気の至りと言うか。」 ――でも、好きだったんだろ? その時はその時で。最初から適当に遊んでポイってつもりじゃなくて。 「……そりゃあ、まあ。」 ――じゃあ、軽率なんて言ったらだめなんじゃない? お互いちゃんと好きだったんならさ。 「俺がもっとしっかりしてりゃ良かったんだ。エイズのことはほとんど知らなかったけど、妊娠とか性病とか、そんなことなら知ってたんだから。」 ――それで後悔して、だから、ちゃんと検査したんだろ。それが自分のしたことの責任取るってことなんじゃないの。 「責任なんて。」 ――それが、俺に言えなかった話の全部? 「あ、うん。」 ――なぁんだ。 「なんだよ、なーんだ、って。」 ――もっとすげえ話かと思った。 「すげえ話だろ。」 ――すごくないよ。まあ、もし陽性だったら、こんなこと言えなかったと思うけど、でも、そうだとしても、別に何も変わらないし。 「変わらない?」 ――変わらない。だって、そういうの、とっくに覚悟してた。和樹さん、経験豊富そうだったから。 「馬鹿、そう思ってたんなら、もっと早く……。」 ――早く? もっと早く検査しろと言ってほしかった? それとも、ゴム使ってくれってちゃんと言えって? 「違っ……。あ、いや、違わない、か。だって、もしそうなら俺はともかく、おまえが。」 ――いいんだ。俺はそれでいいと思ってたから。言いたくても言えなかったわけじゃない。逆に、感心してた。妊娠しねえんだから、そういうの気にしないのかと思ったら、割とちゃんとゴムつけてくれてたし。 「感心するこっちゃねえだろ。それに、割と、じゃダメだろ。」 ――うーん。  涼矢は何か考えているような間を置いた。 ――正直な話、そういう可能性なら考えたよ。でも、確率はすごく低いとも思ってた。HIVってそこまで感染力が強いウィルスでもないからさ。  涼矢は心の中でだけ思っていた。――和樹の人との付き合い方を見ていたら分かる。自分がもっとしっかりしていればなんて言うけれど、今までつきあってきた女の子に対してだって、和樹は気を使ってただろうし、誠実だったはずだ。それに……それでうつるなら、それでもいいと思ってた。最悪二人共が発症して万が一にも死に直面するというなら、それでもいいとすら思っていた。和樹と同じ病気で、同じように死ねるならそれでいいやと。 「そっか。そういうの考えてたのか、涼矢は。」 ――具体的に考えてはいないよ。病気のことも、そう真面目に調べたこともない。今だったら和樹のほうが詳しいぐらいだと思うよ。ただ、自分がマイノリティだって自覚は前からあったから、それ関連のことは、和樹よりは考えていた……というか、我がこととしてとらえていた、って言えばいいのかな。だから。  涼矢は和樹にそう言いながら、和樹とつきあい始めてからのことを思い出していた。  そう、俺にとってそれは、ずっと「我がこと」だった。  たまたま流れてきた曲が気に入り、なんという曲か調べていたら、そのアーティストが既に故人だと知ってショックを受けたことがある。いや、ショックだったのはとっくに亡くなっていたことじゃない。その死因がエイズであり、彼は実はゲイで、ツアー先では現地の少年を金で買っていた……なんてことまでもが書かれていたことに対してだ。どんなに素晴らしい楽曲を遺しても、その功績を相殺するかのように書かれる興味本位の記事。死んでからゲイだと暴露されること、だからエイズになんかなったんだって論調で語られること。その一連の流れがショックだった。  自分もいつかそんな風に死ぬのかなって。死んだ後になってゲイだと噂されて、だから変な病気になったんだって言われるのかなって。ゲイだから、そんな風に死んでもしょうがないって。そういう存在なのかなって。ぐさりぐさりと胸を抉られた。  和樹と出会って、好きになって、つきあえるようになって。キスして、その先に進んだ時。そういった病気のことも頭によぎらなかったわけじゃなかった。和樹の過去の女性遍歴からの感染を恐れたんじゃない。今日の、今の、こういう瞬間を恐れたんだ。和樹にとって、俺とつきあうことが負荷になる、それを恐れたんだ。でも、止められなかった。手に入れてしまったら、手離せなかった。だから、和樹とつきあうことで起きることなら、良いことも悪いことも、全部ひっくるめて、俺は背負っていこうと思った。 「俺と。」和樹は懇願するように言った。「俺と一緒にいてくれる? 今回はたまたま大丈夫なだけだった。ミヤちゃんも言ってた、彼氏に言われて自分もすぐ調べて陰性だったけど、でもそれってただのラッキーだって。俺だって身に覚えがないわけじゃなかった。俺はそうやって、いいかげんで、無知で、知らないうちにおまえを傷つけたりして、これからもきっと、そういう失敗いっぱいやらかす。なあ、それでも、俺と一緒にいてくれる?」  電話口の向こうから聞こえてきたのは、涼矢のくすっという笑い声だった。 ――俺さ、おまえよりおまえのこと知ってるよ? 和樹だってそう言ってただろ。それでもここまで来たんだ。そんなの、今更だと思わない?

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