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第383話 Sweet Dreams(1)
「ああ、そうか。偉いな。学校の宿題、たくさん出たのか?」
「そういうわけじゃないけど。」明生はぶっきらぼうにそう言って、受付の菊池に自習に使っていい教室を尋ねると、和樹には会釈を軽くしただけで行ってしまった。
普段の明生も、シャイで目立つ言動はしないタイプだったので、和樹は特にその態度を気に留めるでもなく、さっきの準備の続きをした。
和樹は冬期講習について早坂に尋ねてみた。
「都倉先生にはまだ受験指導はお任せできませんし、お願いできそうな小学4、5年生は講習自体が2日間、トータル4時間程度しかありません。更にその2クラスは時間帯が被るので、どちらか一方しかしかできません。ご希望があれば、どちらかを担当していただくことは可能ですが、どうします? 時給は通常と同じですから、そう割の良いものではありません。なので、帰省のご予定があるなら、そちらを優先したほうがいいのではないかと思っているのですが。」
早坂は冬期講習のシフト表を見ながら淡々と言う。向かい合っている和樹からも、そのシフト表はチラリと見えた。既にすべてのコマに対して、講師名が書き込まれているようだった。つまり、経験の浅い和樹は、受験直前の冬期講習では最初から戦力外で、シフトに入れるつもりはなかったのだろう。それでも和樹のほうから尋ねたから、もしかしたら、少しでもバイト代を稼ぎたいのかもしれない、それなら多少融通してやるのもやぶさかでない……そう思っての、早坂のセリフであることが伺えた。
「いえ、それなら、いいです。帰省はするつもりで、その日程を決めなきゃならないんで、一応確認させていただいただけで。」
「分かりました。」早坂はシフト表を元の書類棚に戻した。「久しぶりでしょう、帰省。」
「はい。こっち来てから、初めてです。」
「じゃあ、きっとご家族も楽しみになさっておいでですね。甘えてきたらいい。」
「いやあ、そんな。」婉曲な断りの言葉を言うのも聞くのも、曖昧な社交辞令の応酬にも、少しずつ慣れてきた。
早坂も愛想笑いのつもりなのか、口角を少しだけ上げた。それから「年明けは2週目から通常です。スケジュールはいつものところに貼ってありますから、確認しておいてください。」と事務的に言った。
「あ、はい、さっき見ました。元日に合格祈願て書いてありましたけど。」
「ええ、講師で近くの神社にお参りして、合格祈願をしてきます。いつもの3人と、あとは来られる先生方だけでね。」
「元日から。大変ですね。」
「生徒には、神様を当てにするより前に自分の努力を信じろ、などと言っていますが、結局のところ、最後は神頼みですよ。」早坂はニッと笑った。今回ははっきり笑顔と分かる笑顔だった。
冬期講習がないとなれば、予定通りに26日に帰省できる。そうと決めた和樹にとって、25日のクリスマスはただ「涼矢に会える前の日」というだけの日になった。イブにしても、渡辺から「クリスマスを過ごす相手のいない、淋しい男ばかりが集まってのクリスマスパーティー」に誘われたが、断った。別に相手がいないわけではない。塾の年内の通常授業は23日が最終日だったから、24日も25日も、バイトすらない、いよいよ何の予定もない日だ。
「おまえはクリスマス、何か予定あるの?」和樹は涼矢にそんなことを聞いた。
――別に。普通の日。
「同じく。」
――26日は、クリスマス用の食材が安くなってるだろうから、それをおまえに食わせようと思ってる。
「ひっでえの。」
――あ、そうだ。もしかしたら、バイトするかも。
「え。」
――前に佐江子さんと宏樹さんと行った店。哲の今のバイト先な。そこが、23、24と、常連向けにクリスマスイベントやるらしくて、それの手伝いやってよって哲に言われてて。けど、店長からは何も言われてないしさ、よく分からない。
「何やんの。調理?」
――調理はプロがいるから、やるとしたら、皿洗い的なことじゃないの。
「へえ。涼矢くん、初めてのアルバイトだ。」
――そういうことになるね。やるかどうか分かんないけど。まあ、呼ばれたら行くよ。電話出られなかったら、たぶんそれだなって思ってて。
「哲に呼ばれて行くってのは、気に入らねえな。」
――呼ぶのは店長だよ。あ、佐江子さん経由かな。佐江子さんの古い友達なんだ、店長。
「ふぅん。」
――良い人なんだ。すげえ、良い人。
「まあ、そうなんだとは思うけどさ。」
――哲を、安心して任せられる。
「あのさあ。」
和樹の声は、苛立ちを増す。
――分かってるよ、和樹が哲の話聞きたくないってのは。けど、そのためでもあるから。あいつが変な奴に関わっている限り、またいつ俺たちが巻き込まれるか、分かったもんじゃないだろ。だから、ちゃんとした目付け役のところに置いといてるの。
「あっそ。まっ、そういうことにしといてやるよ。」
――本当だって。
「はいはい。せいぜいたくさん皿洗いして稼いで、クリスマスの売れ残りだけじゃないごちそう、食わせてくれよな。」
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