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第384話 Sweet Dreams(2)
――そういう可愛くないこと言うなら、売れ残りのクリスマスケーキ食わせるからな。
「どうせ俺は可愛くないですよ。」
――いや、おまえは可愛い。ただ、言うことが時々可愛くない。
「うっせ、バーカ。可愛いとか言うんじゃねえよ。」
――ああ、可愛い可愛い。和樹は実に可愛い。
「も、切る!」
和樹は本当に電話を切った。腹を立てているつもりだが、どうしてだか顔がニヤけてしまっていることは、自覚していた。
哲経由でアリスから涼矢のところにアルバイト要請が来たのは、23日のクリスマスイベント当日の、しかも午後になってからだった。詳しい仕事内容も聞かされないままに、涼矢は急いで店に向かった。
「ごめんねえ。前にいたバイトの子にヘルプ頼んでたんだけど、インフルエンザになっちゃって。」涼矢が到着したのは開店2時間前のことだ。涼矢を見て、開口一番、アリスが言った。アリスは化粧も女装もしておらず、ポロシャツにジーンズという出で立ちで、単なる「おじさん」に見えた。
「暇だったんで、別に。」
「あらぁ、せっかくのクリスマスなのに暇だなんて。」とアリスは体をくねらせる。「おじさん」姿でのその仕草は若干の違和感を覚えた。
「今日はクリスマスじゃないですけど。」
「はいはい、クリスマスは明日ね。」
「明日はクリスマスイブであって、クリスマスは」
涼矢のセリフを哲が遮った。「いいから、手伝えよ。」
「何すればいいの。皿洗い?」
「まずは着替えろ。」
「あ?」
「アリスさんも着替えてきていいですよ。こいつのことは俺が指示するんで。」哲はアリスに向かって言った。
「あらそう? じゃ、よろしくね。」アリスはスタッフルームと書かれたドアではなく、厨房へと向かった。その直後にドアの開閉音がしたから、裏口から外に出たようだ。
「田崎はこっち。」哲は涼矢をスタッフルームのほうへと連れて行く。「これ着て。」差し出してきたのは、ギャルソンエプロンとベストだ。「シャツは……今着てる、それでいっか。はい、ネクタイも。」
涼矢は自分のシャツを見る。なんということのない白いシャツ。「それ着て、何やらされんの。」
「給仕だよ、給仕。」
「無理だよ、そんなの。メニューも知らないし。」
「今日と明日はブッフェスタイルだから、通常メニューは関係ないよ。ドリンクも、お客さんに自分でカウンターに行ってもらうから、注文聞く必要もない。おまえがやるのは、空いた皿やグラスを下げて、新しいのを補充するのが中心。」
「じゃあ、そんな格好する必要もないだろ。」
「お客さんが店員かどうか分からなくて困るだろ。」
「……だったらエプロンだけでいいと思うけど。その、ベストとか蝶ネクタイとか、要らない。」
「だめ。」
「なんでだよ。」
「俺の趣味。」
「はあ?」
「リクエストしたの、店長に。こういう格好したいから制服として買ってくれって。いいじゃん、俺も着るからさ。」
「何、余計なことしてんだよ。」
「店長、大喜びでノリノリだったけど。」
「そう言えば、アリスさん、どこ行ったの。」
「自分ちだよ。裏口出たら、すぐ、お向かいに住んでる。店長の衣装はこんな狭い更衣室じゃ収納しきれないっつの。だからメイクとか着替えは自分ちでやってくる。」
「そうなんだ。」
「店長のことはいいからさ。」
涼矢は渋々エプロン類を身に着けた。
「ほう、やっぱり格好いいね。似合うね。」哲は涼矢の肩を叩いた。「あとは、そうだな。」スタッフルームには鏡とちょっとした棚もある。そこから整髪料と櫛を取って、哲が言った。「前髪、上げようか。」
「嫌だ。」涼矢は後ずさった。「オールバックは苦手なんだよ。」
「だめ、飲食店のスタッフとして、その前髪はナシだろ。ちょっと撫でつけるだけでいいからさ。」哲は涼矢の頭に手を伸ばしてくる。
「わ、分かったから。自分でやるから。」涼矢は、スタッフルームから哲を締め出して、これまた渋々で髪をセットした。整髪料で固めた髪型を見ると、生前は会ったこともない祖父の写真がよみがえった。似ていないと思っていたが、こうして見ると、やはり面影がある気もした。和樹がセットしてくれた時はそこまでには思わなかった。やり方がどう違うのか、よく分からない。ヘアセットは結構得意なんだという和樹の言葉は、あながち嘘ではなかったらしい。
スタッフルームから出てくると、哲は改めて「ほう」と感嘆の声を上げた。「いいんじゃない? やっぱり上背あるし、ガタイがいいと似合うよねえ、そういう格好。」そう言いながら、涼矢と入れ違いでスタッフルームに入り、手早くエプロン類をつけた。
「おまえはオールバックにしないのかよ。」哲の茶髪は、いつも通りの無造作ヘアだ。
「俺はいいんだよ。可愛い哲ちゃんキャラだから。おまえみたいにロン毛でもないしさ。」
「ロン毛ってほどじゃないだろ。」可愛い哲ちゃんキャラ、については、あえて言及を避けた。
「充分長いって。後ろなんか、結べそうじゃん。」また頭に手を伸ばそうとする哲をかわして、涼矢は厨房のほうに向かった。
「で、何からすればいいの?」
「テーブルセッティング。……の前に手を洗って、除菌スプレー。」
哲の指示により、涼矢の初アルバイトがスタートした。
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