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第386話 Sweet Dreams(4)
涼矢はそんな会話をスルーして、脱いだエプロンを哲に示して、「これはどうする? 汚れてはいないけど、明日もこれ着る?」と聞いた。
「洗って明日また持ってくるわ。」とアリスが言った。
「いつもは2枚を交替に着ているから、クリーニングに出しても間に合うんだけど。」と哲が付け加えながら。
「エプロンにクリーニングなんてもったいない。」と涼矢は呟くように言う。
「私、アイロン掛けが嫌いなのよぅ。だからクリーニングに出しちゃうの。でも、今日は間に合わないから仕方ないわ。」
「それなら俺、持ち帰って洗ってきますよ。アイロンも掛けて。」
「俺の分も?」哲が脱いだエプロンを手にして言った。
「おまえは自分でやれよ。」
「ええー。アイロンなんか持ってないよ。」
「おじさんに言って借りればいいだろ。」
「あ、今日と明日はね、哲ちゃん、うちに泊まるの。」
「えっ。」
「遅くまで残ってもらうと、帰るの大変でしょう。私もタクシー代負担するよりその方が安上がりだから。」
「へえ。」と言いながら哲を見た。
「モモ、もう寝たかな。」と哲がアリスに言った。
「とっくに寝てるわよ。」涼矢が会話に入れないでいると、アリスが説明してくれた。「百 は、六三四の娘よ。私の孫。もうすぐ1歳なんだけどね、この子がどうしてだか哲ちゃんによく懐いて。」
「六三四って……あの? えっ、娘?」涼矢は驚いて厨房を見た。
「あら、言ってなかったかしら。六三四はもう妻子持ちなの。嫁も一緒に暮らしてるわ。だから、今の我が家、何人いるんだかよく分かんなくて、哲ちゃんの1人や2人増えたって大して変わりゃしないのよ。」
「7人だよ。アリスさんだろ、麗美 さんだろ、あ、アリスさんの奥さんな、長女が一二三 、長男の三七十 、次男六三四、六三四の奥さん、モモ。」
「あと、一二三のお腹に1人。」
「旦那は海外行ってんだって。」哲はアリスの言葉を補足する。それからアリスのほうを向いて行った。「予定日は春だっけ? んで、その頃には旦那戻ってくるんだろう? そしたら、プラス2人?」
「どうしましょ。」
「部屋数的に限界でしょ。俺のスペースがなくなる。今だって三七十とシェアしてるのに。」
「そうよねえ。」
「哲のスペースは関係ないだろ。」
「関係あるよ、だって、ここのところ、バイトがあるたびに……ってことは、週の半分はこっちにいるんだもん。」
「はあ?」涼矢は呆れた声を出した。「アリスさん、こいつを甘やかさないでください。」
「いいのいいの。何年か前までは妻の連れ子も一緒に住んでたの。もうその子は大きいからね、独立して別に所帯持ってる。一二三は私の連れ子で妻とは血が繋がってない。でも麗美は分け隔てなく育ててくれた。六三四の奥さんは施設育ちで頼る実家もないからって、大家族で暮らすことをとても喜んでくれてて、それが私も嬉しいの。実の親子かどうかって、うちはあんまり関係ないのよ。だから哲ちゃんも好きな時に来ていいって言ってあるの。涼矢くんも、さっちゃんに耐えられなくなったら来るといいわ。うちに来る子は、みんなうちの子だから。」そう言って、「あはは」と豪快に笑った。店で客相手に笑う時は「うふふ」と笑う。
「いや、俺、絶対無理。他人と暮らすとか……。」と涼矢は独り言のように言った。ほぼ母親との2人暮らしの今でさえ時に煩わしく感じるのに、ましてや、そんな大勢の他人と暮らすなど。
「私はね、高校も大学も寮生活だったし、言葉の通じない国や船で暮らす時も他人とのシェア生活だったから、そういうの全然平気。ひとりのほうが淋しくて嫌だわ。」
「でも、都倉くんとは、そのうち一緒に暮らすつもりなんだろ?」と哲がからかった。
「都倉くんって……ああ、そうか、宏樹くんの弟さんとつきあってるんだったっけ。」
「え。」涼矢は突然出てきた和樹の兄の名前に戸惑いを隠せなかった。
「宏樹くん、あの後も何回かお店に来てくれてるの。と言っても2、3回だけどね。」
「あの、まさかその時、うちのおふくろも……。」
アリスは笑って「それはない。いつも1人で来るわ。カウンターでちょっと飲んで、すぐ帰る。食事は家でするみたいで。」
アリスと宏樹はどんな話をするのだろう。知りたい気もするが、聞くに聞けずに躊躇っていると、アリスのほうから話してきた。
「私とはラグビーの話するぐらいよ。」そう言って、今度は「うふふ」と笑った。「それ以外もあるかもしれないけど、言えないわ。守秘義務があるから。」
「残念ながら、俺はまともにしゃべったことない。顔は見たけど、カウンターだとあまり関わらないから。」と哲が言った。
「関わらなくていい。関わるな。」涼矢は冷たく言い放つ。それから哲の手のエプロンを無造作に取り上げて、「じゃ、これ明日また持ってくるから。」と言った。
「ありがとねえ、お洗濯代はバイト代に上乗せしておくから。明日も今日と同じぐらいの時間に来てくれる?」
「はい。」
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