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第387話 Sweet Dreams(5)
帰宅した頃には日付も変わりそうな時間だった。和樹からの着信履歴もメッセージもない。きっと自分がバイトに行っていると見越してのことだろう、と涼矢は察する。
[バイト初日終了][なんとかやったけど、接客やっぱり苦手][明日もやる][これからエプロン洗濯][また明日]
そんなメッセージを送りつけて、終わりにした。
[疲れてるな(笑)][がんばれよ][おやすみ~]
和樹からはそんな返事が来て、この日はそれで終了した。試験前や何かの都合で時間が取れない時には、その程度のやりとりで終わることは多々あったから、和樹も特に不審には思わないはずだった。
涼矢としては、聞いてもらいたい話がなかったわけではないし、嫌なことばかりでもなかった。パーティー料理は献立の立て方のほか、盛り付け方やサーブのタイミングなども含めて勉強になったし、苦手だからと逃げていた接客だが、この先そうとばかりは言っていられなことは承知していて、その意味では良い経験になったと思う。だが、特に後者については哲の話題を避けてはいられない。和樹の機嫌を損ねないように話すには、少し時間が必要だった。できれば、和樹が帰省してから、直接話すのがベストだ。声の調子や画面の文字だけで、相手の細かな感情の機微を読み取るのは自分には難しい、と涼矢は思う。和樹じゃなければ、それで誤解されたところで、どうだっていいと切り捨てられるのだが。
涼矢はエプロンを洗濯している間、リビングでコーヒーを飲むべく、湯を沸かし始めた。その気配が聞こえたのか、佐江子が寝室から出てきた。
「飲む?」と聞くと、うん、と答えたので、涼矢はヤカンに水を足した。
「どうだった?」と佐江子が聞く。
「アリスさんの店?」
「そう。」
「ん、まあ、なんとか。」
「うまくやれたんだ。」
「うまくはないけど、なんとか。……ああ、それで、明日、母さんに来てほしいって。予約客が少ないから。」
「あらま。稼ぎ時で忙しいと思って遠慮してたのに。」
「うん、今日は盛況だったけど。明日はいまいちらしい。日曜日で、イブで。」
「はぁん、なるほど。あそこ、カップルがしっとりって雰囲気の店じゃないものね。」
「アリスさんに伝えてくれって言われたから一応言ったけど、来なくていいから。」
「なんでよ。行くわよ。」
「来るなよ。」
「何、働いてるとこ、見られたくないんだ?」
涼矢は無言で、シュンシュンと湯気を上げるヤカンの火を止め、コーヒーを淹れ始めた。
「話しかけたりしないから。」
「マジで来るの?」
「行くよ、そもそも私の店よ?」
「母さんの店じゃないだろ。」
「ちょっとは私の店よ。お店出す時に出資したもの。」
「そうなの?」
「そうよ。威張れる金額じゃないし、とっくに返してもらってるけど。」
「じゃあ、やっぱり母さんの店じゃないじゃない。」
「困ってる時に受けた恩は忘れちゃいけないの。」
「それはアリスさんのセリフで、母さんが言ったら、ただ恩着せがましいだけだろ。」
「あんたって本当に可愛くない。」
「誰に似たんだろうね。」涼矢は佐江子の前にコーヒーカップを置いた。
「田崎氏よ。」佐江子はそれに口をつける。「ろくに一緒に暮らしてないのに、血は争えないもんだ。」
そんな言葉を聞きながら、「実の親子かどうかは関係ない」というアリスの言葉を思い出す。それから、哲がいつの間にかアリス一家の一員のようになっていることも。アリスには哲を甘やかすなと言ったけれど、きっと哲にとっては良いことなんだろう、と思う。
「父さん、年末帰ってくるの、いつ?」
「29日か30日じゃない?」
「そっか。」
「何か用事?」
「26日に、和樹も帰省するんだけど、うちに泊めてもいい?」
「いいけど、自分の実家は?」
「次の日に帰るって。」
「あなたたちも小さいこどもじゃないんだから、好きなようにしていいけど。」
「うん。」
「自己責任で。」
「はい。」
コーヒーも飲み終わり、洗濯を終えたエプロンを乾燥機にかける。完全には乾かさずに、少しだけ湿り気のあるうちに取り出して、アイロンをかけた。その様子を佐江子はぼんやりと見ている。
「あなたは良い奥さんになれるわねえ。」
「よく言われます。」
「彼氏に?」
「ノーコメント。」
「あなたがそんなにマメだなんてね。」
「アイロン掛けなんていつもやってるだろ。」
「違う違う、それじゃなくて。恋愛の話よ。遠距離でね、こんな続くなんて。」
「あんたたちほどじゃないだろ。何年遠距離だよ。」
「あ、そうね。」
涼矢はアイロン掛けを終え、アイロン台などを片づけると、そのまま部屋を出ようとした。その背中を佐江子が呼び止めた。
「行かせてもらうわよ、明日。」
「……どうぞ、ご勝手に。」
部屋に戻ると、スマホのランプがチラチラと点滅している。何かと思えば、哲と千佳、響子で作っているメッセージグループに新しいスレッドができているようだ。覗いてみると、哲が2人を店に誘っているのだった。勘弁してくれと思ったが、もう手遅れだ。幸いと言うべきか、響子からは、当然のように彼氏と2人で過ごす先約があると、断りの返事が来ていた。千佳は家族で過ごす心づもりでいたようで、まだ迷っているらしい。千佳の気持ちとしては店に行きたいけれども、恋バナに目のない2人の姉に変に勘ぐられるのが嫌、というところのようだ。それでも哲が言葉巧みに誘い続け、結局千佳は来ることになった。
既読人数のカウントを見れば、自分もこれを読んでいることは分かるだろうと判断して、涼矢はその会話に混ざることなく、ベッドにもぐりこむ。
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