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第390話 Sweet Dreams(8)
「どうでもいいわけねえだろ。」涼矢は腹立ちを隠さずに言った。「千佳は大事な友達だよ。けど、それより、おまえだよ。」
「は?」
「俺は、友達を軽く扱うおまえを見たくない。」
「は、何だ、それ?」
「とにかく。おまえが千佳とつきあうことについては、俺はとやかく言える立場じゃない。勝手にすりゃいい。けど、おもしろ半分で人の心を弄ぶな。」
涼矢が、大声こそ出さないが強い口調で言うと、哲は対抗するどころかニヤリと笑った。「正論で俺をいじめるなよ。」更には両手を軽く上げて「お手上げ」のポーズをした。「まったく、つまんねえ男だなあ、田崎は。」
「俺がつまろうがつまらなかろうが、今の話と関係ねえだろ。」
「そう感情的になるな、おまえらしくもない。……嘘だよ。」
「はあ?」
「後半は嘘。告られたのは本当。次に誰か好きになるまでの間だけでもいいからつきあわないかって言われたところまでが、実話。でも、ちゃんと丁重にお断りしましたよ、っと。」哲は近くにあった街灯のポールに腕をからませてくるりと回転しながら言った。
「なっ……なんで、そんな、嘘。」
「俺と千佳がつきあうって言ったら、どんな顔すんのかなって。おまえの反応が見たかっただけ。」
ついに涼矢が声を荒げた。「てめっ……! そうやって人をからかうのもいいかげんに……!!」
その時、涼矢のほうに背中を向け、ポールにもたれて、哲が言った。「俺はね、おまえが好きなんだよ。」
涼矢は息を飲む。「な、にを、突然。だから、そんな風にからかっ」
涼矢の声にかぶせて哲は言う。「からかってないよ。初対面でつきあおうって言ったり、実力行使で襲いかかったり、順番が変だからそう思われても仕方ないけどさ。しかも、とっくに全力で拒否られてて言うのも変だけど。」哲はくるりと振り返り、涼矢をきちんと正面から見た。「俺は、きみが好きだよ、田崎涼矢くん。もちろん、恋愛感情。」
「おま、何言って……。」
「千佳を断るのに、そのことは理由にしてない。それから、こんなこと言ってはみたけど、今更おまえとどうにかなりたいとも思ってない。おまえが都倉くん一筋なのもムカつくほど知ってるしね。だから、返事なんか要らない。」哲は一方的にそう言うと、ポールから離れて、再び店へと歩き出した。ドアの手前まで来て、涼矢を振り返った。「友情でも同情でもなんでも、ちょっとは俺に対して好意的な感情があるんだったら、今まで通りにしてよ。」
そんなこと言われても。そう言いたかったが、哲は店に入ってしまった。だったらとっととスタッフルームにでも行ってくれればよさそうなものを、こんな時に限って、涼矢のためにドアを押さえていたりする。どう反応していいのか分からないままに、涼矢はうつむきがちに店に入った。
「話は済んだの?」アリスが言った。
「はい。」と哲が答えた。「大学の友達がトラブっちゃって。でも、もう、大丈夫です。」適当なことをもっともらしく言う。
アリスはそれを信じたのか信じた振りか、内容には触れずに「2人ともそんな薄着で出てっちゃって。風邪ひくわよ。」と言った。
「若いから大丈夫でーす。」
「クビにしようかな。」
「わぁ、嘘です、嘘嘘。」哲は朗らかに笑いながら、エプロンを外した。それを見て、涼矢も慌ててエプロンを脱ぐ。こうなってはもう、哲との話から気持ちを切り替えないわけにはいかなかった。
「あ、それ、今日はそのまま返してくれたらいいわ。」アリスが手を伸ばしてきたので、涼矢はエプロンにベスト、それに蝶ネクタイも外して、渡した。アリスは「本当に昨日も今日も助かった。またお願いすることがあるかもしれないわ。よろしくね。」と言った。
「あ……はい。」涼矢はボソッと答えた。
それから涼矢は、六三四とセイさん、ゲンさんにも挨拶をしてから帰ろうと思い、厨房に顔を出した。セイさんとゲンさんは洗いものや明日の在庫のチェックをしていて、六三四はちょろちょろと水を流しながら、床をデッキブラシでこすっていた。厨房はそうやって清掃できる床材と構造をしているようで、少し傾斜が付いていて、汚水は端の排水溝へと流れ込んで行く。一番の力仕事のそれをやっている六三四は、白いコック服を脱ぎ、上半身はTシャツ一枚だった。半袖から剥き出しになっている腕は太く逞しい。そして、はっきりと刺青が浮き出ていた。背中側も胸の側も、Tシャツの襟ぐりから少しはみ出て見えており、そんな範囲の広さからも、一部見える絵柄からも、ファッション的に入れたタトゥーなどではないことは一目瞭然だった。
「おう、お疲れさん。」と真っ先に声をかけてくれたのはバーテンダーのゲンさんだ。「帰るのか。」
「はい。2日間だけでしたけど、お世話になりました。」
「次は客で来るのかな。待ってるよ。」とゲンさんは笑う。
「はい、また来ます。」
「お疲れ。」と、そう愛想良くもなく、セイさんが言った。だが別に不機嫌というわけでもないのは、この2日間の経験で分かった。「兄さんは料理に詳しいから、助かったよ。哲の奴は料理の名前を全然知らねえから、最初は苦労したんだ。」
「けど、教えれば一度で覚える。」哲をかばっているつもりなのか、その割にはニコリともしないで、六三四が言った。それからデッキブラシの手を止めて、涼矢に尋ねた。「哲は、大学、ちゃんと行ってんのか。バイトばっかしてっけど。」
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