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第392話 Sweet Dreams(10)
買うとも言っていないのに、声をかけてきた美容部員がしゃべりはじめた。要約すると「新宿店限定の口紅、アイカラー、ミニサイズのクリームが専用ポーチに入っているお手頃価格のセットがあって、彼女へのクリスマスプレゼントに大人気」ということのようだ。これでも要約であり、この数倍の量の言葉を彼女は語り尽くしたはずだ。値段はちょうど10,000円で、予定していた"東京銘菓"の予算の倍以上するが、買えない値段ではなかった。アルバイトのことも先日ようやく家族に伝えており、これが初任給というわけでもないけれど、母親にそのぐらいのプレゼントをしてもいいかと和樹は思った。ただ、父や兄を無視することにはなるが、何より母親の機嫌の良さのためなら2人とも理解してくれるだろうと思う。
母親、というワードから、和樹は佐江子のことも思い出した。涼矢にも何か買って帰りたい気がしていたが、何が欲しいと聞いたところで、何も要らないと言うだろう。だったら、その分を佐江子のために使ってもいいかもしれない。
「あの、じゃあ、これ、買います。プレゼント用でお願いします。それとは別に、3,000円ぐらいで、50歳ぐらいの女の人に贈るようなものって、何かありますか。」和樹は美容部員に尋ねた。佐江子の年齢は知らない。涼矢は高齢出産だったと聞いた記憶はあるが、何歳で出産すれば高齢と呼ばれるのかを知らない。恵よりは少し年上のように感じる。だが恵の年齢すらあやふやだった。だから結局外見で判断して、50歳ぐらいと言った。美容部員は限定クリスマスコフレの購入についての感謝を3回ほど繰り返した後、数歩進んで、口紅のコーナーへと和樹を案内した。それから、商品サンプルの口紅を1本、手に取った。
「こちらのお色は今シーズンの新色でございまして、大人の女性らしい、ラグジュアリーな仕上がりになります。」
「少し……赤すぎるかな。普段、あまりお化粧しない感じと言うか。地味目な感じで。あっ、でも、仕事はできる、みたいな。」
「理知的なキャリアウーマンといった雰囲気の方ですか?」
「ああ、そうです。スーツとか、ビシッと着てる。」
「うわぁ、カッコイイ女性でいらっしゃるんですね。もしかして、お母様ですか?」
「いえ……、あ、そう、です。はい。」
「まあ、素敵ですねえ、お母様に口紅のプレゼントなんて。それでしたら、こちらはいかがでしょう。」ベージュに近い落ち着いたピンク。彼女はその試供品を手の甲に載せて伸ばしてみせた。「派手ではないですけれども、エレガントで、くすみがちな肌も明るくきれいに見せてくれますし、落ち着きのあるお色味で、ビジネスシーンでも浮きません。」
こちらのほうがさっきの赤より、佐江子っぽい。そう思って、和樹はそれに決めた。
「お渡し用の紙袋もつけておきますねえ。それと、こちらはクリスマスコフレご購入の方に差し上げている、リップクリームのサンプルですので、彼女さんに是非お渡しください。はちみつ成分配合で保湿効果も高く、夜寝る前にたっぷりおつけになると、朝、ぷるぷるですよぉ。こちらもほら、お星さまのケースに入っていて、可愛いんです。」
その時になって、和樹は美容部員の勘違いを知った。クリスマスコフレは"彼女"宛てだと思われているのだ。わざわざ訂正することはせず、和樹はただ「はい」と答えて、支払いを済ませた。
和樹は涼矢に、夜中になってもいいから電話をくれとメッセージを送っていた。涼矢がそれに気付いたのは、既に深夜で、零時も過ぎてから和樹に電話をした。
「遅くなってごめん。さっき家に着いた。」
――おかえり。疲れてるとこ、悪いな。
「いや、そこまで疲れてはいないけど。」本当は疲れていた。体ではなく、メンタルが。だが、口が裂けても哲からの告白のことは和樹には言えない。和樹に様子がおかしいと気付かれる前に自分から話しかけた。「夜中でもいいなんて、何か、急ぎの用事でも?」
――メリー・クリスマス。
「え?」
――メリクリは言わなきゃでしょう。恋人同士なんですから、俺たち。
「今日はクリスマスイブであって、クリスマスは……」言いかけて、涼矢は気が付いた。「もう、日付変わったからいいのか。じゃあ、メリークリスマス。」
――俺はイブに言おうと思ってたし、だからイブ気分で言ったけど。
「なんで? クリスマスがめでたいんじゃないの。」
――普通はイブだろ、盛り上がるのは。
「変なの。」
――おまえが変だ。そんなこと言い出したら、そもそもクリスチャンでもないのに祝うことがおかしいんだ。日本のクリスマスってのは、カップルがイブにイチャつくことなんだよ。
「そう思ってたのに、去年は川島さんに断りもなく講習入れたんだ?」
――過ぎた話はやめてくれ。その反省も踏まえて、今日という日を大事にしようと思ってだな。
「つまり、おまえは日本式にイブにイチャつきたくて、何が何でも電話くれって言ってたわけだ?」
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