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第400話 bless you! (5)
「言っただろ。出会った人や、関わった人、みんなが俺たちを作ってるって。それで苦しい思いもするけど、助けてくれたり、教えてくれたり。直接言葉で教えてもらったことじゃなくても、何年も経ってから分かることもあるし、それから、そういう、ギリギリの時とかに聞こえる声とか。」和樹は話している内に呂律が回らなくなってきた。言いたいことがまとまらないせいでもあったし、寒さのせいでもあった。「ああ、何言ってんのか分かんないや。とにかくさ、おまえに生きててほしいって力が、働いたんだ。それがおまえに届いたんだ。」
「そうかもしれないけれど。だったら、そんなに大事な人を、命まで助けてくれたって言うなら、どうして俺、その先輩のこと、忘れてたんだろ。」
「うーん。分かんねえけどさ。それがその人の役割だったんじゃない? おまえに対しての。」
「ひどい薄情じゃない? 俺。」
「忘れてなかったじゃない?」
「え?」
「思い出したじゃない、今。忘れてなかった。きちんと大事に箱にしまって、それでそれを開けるべき時が今だった、ってことだよ。」
涼矢は驚いた顔で和樹を見た。それから、フッと笑った。「相変わらずだな、おまえは。」
「ご都合主義? 楽天家?」和樹も笑う。
「俺に足りないものだ。和樹は……俺の、足りないピースみたいだ、いつも。」
「さぞかし、ぴったりハマるでしょうなあ。」和樹はそう言って立ち上がると、まだしゃがんだままの涼矢を見下ろし、その眼前にサムアップの手を突き出して、笑った。「身も心も、ぴったりだからねえ、俺ら。」
「下ネタかよ。」涼矢は笑って、その手をつかんで、支えにして立ち上がる。それからズボンやジャケットの裾についた砂を払った。どちらからともなく歩き出して、車のほうに戻った。
車に乗って、エンジンをかける。車内もすっかり冷え込んでいた。暖まるまでは少し時間がかかりそうだ。
「……忘れたかったから、忘れてたんだよ。本当は。」涼矢はぽつりと言った。
「え?」
「辛かったからさ。いろいろ、しんどくて。何もかも嫌だった。美術部員って幽霊部員多くて、先輩と俺、2人きりのこともよくあった。先輩は俺のこと好きだったかもしれない。何かされたわけじゃないけど、なんとなくそう感じることもあって。俺も先輩のこと好きで。でも、何もできなかった。絵のモデルを頼まれそうになったこともある。けど、先輩のほうが言いかけて、やっぱりいいやって言葉を引っ込めた。2人して、その先に進むことが怖くて、壊したくなくて、きっと両想いだってお互いに分かってたのに、何もできなかった。どうしてかって言ったら、男同士だったからだよ。それ以外の何物でもなかった。そういうのも、全部ひっくるめて嫌で仕方なかった。」
涼矢はそう一気に話し、車が動き出した。
和樹は何も返事ができない。そのまま数分が経過した。それでも涼矢は、まるでその間に和樹が優しいフォローの言葉でも言ったかのように、再び話し出した。
「和樹が言うみたいに、優しい気持ちじゃないんだよ。ただ逃げたかった。忘れてしまいたかった。それで、忘れたんだ。海のことがあってからは、美術室には行かなかった。一度も。先輩とも一言もしゃべる機会はなかった。そのうち卒業して、おしまい。何も始まらないまま、終わって、忘れた。今も、ここまで思い出したのに、その先輩の名前は思い出せない。顔もぼんやりとしか。はっきり覚えてるのは、海の絵だけ。結局完成を見なかったけど。」
「だから、自分で完成させたんだな? その絵がめぐりめぐって、俺んとこに来たんだな。」
「……。なんか、ごめん。そう考えると。昔好きだった人の絵をおまえに、なんて。」
「なんで。いいじゃない。その先輩の絵、そのまんまじゃないんだろ。あの絵は、おまえのだよ。そういう過去とか、ぜんぶひっくるめた、おまえ自身の絵。だから俺、あの絵が好きなんだよ。」
「おまえ、泣かす気かよ。ただでさえ逆光で、陽が落ちてきて、見づらいんだから、やめてよ。」
「じゃあ、メガネかければ。」
「このタイミングでそれ言う? つっても、本当にそのほうがいいかも。そこ、ダッシュボードの。取って、出して。」
和樹はメガネケースからメガネを出し、涼矢に差し出した。涼矢は片手でそれを受け取り、かけた。
「サンキュ。」
「こちらこそありがとう、レアな涼矢くん。」
「おまえ、本当にメガネ好きだな。」
「メガネが好きなわけじゃない。メガネをかけた涼矢が好きなの。」
「俺は素っ裸の和樹が好きだけどな。」
「もう、すぐ下ネタに持って行くなあ。」
「おまえだろ。」
「違うだろ、そっちだろ。」
「下ネタと言えばさ。」
「ほら見ろ、涼矢だ、やっぱ。」
「あ、そう。嫌ならやめるけど。」
「続けてください。」
「車でヤったことないね。」
「なっ。」
「おかげさまで、俺の部屋も、風呂場も、リビングも、良い感じの思い出があるんだけど。」
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