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第409話 春を待つ (6)
和樹に続いて階段を下りながら、若干小声で涼矢が言う。「普段ならこのぐらいの時間は、リビングでテレビ見たりしてるんだけど、今日は、寝室に引っ込んでる、と思う。」
和樹が振り向く。「俺に気を使って?」
「まあ、そうだ。おまえにと言うか、俺たちに?」
「そっか。」そういう気遣いをどういう顔で受け止めればいいのだろう、と思う。
涼矢の言っていた通り、リビングは電灯も消え、誰もいなかった。涼矢はリビングに続くドアのひとつをノックした。
「涼矢?」という声が返ってきた。すぐの反応だから、まだ起きていたのだろう。
「うん。」
「どうしたの。」そう言いながら、中から佐江子が現れた。さっきの部屋着とは違う、いかにもパジャマ然としたパジャマに、半纏を羽織っている。「やだ、和樹くんもいるじゃない。」と恥ずかしがったが、だからといってすっぴんの顔を隠したりするわけでもない。
「あ、すみません、お休みのところ。あの、これ、渡すの忘れてて。東京土産っていうか、クリスマスプレゼント、みたいな。」和樹は紙袋を差し出した。
「えっ、私に?」
「はい。」
「そんな、いいのに。」そう言いながらも、袋を受け取る。「何かな。見てもいい?」
「はい。大したものじゃないんですけど。」
佐江子はブランドのショッパーの中の紙袋を取り出し、更にその中の細長い紙ケースを取り出して、目の前に掲げた。「口紅?」
「はい。」
「ま、男の人から口紅をもらうなんて初めて。」佐江子はその紙ケースも開けて、口紅本体を出した。蓋をあけ、色を見る。「素敵な色。」うっとりと眺めるその佐江子のすっぴんの顔は、シミもあるし、小皺も目立つ。けれど、帰宅直後の印象と大差ないから、元々薄化粧なのだろう。そんな佐江子でも、口紅にはときめくものはあるらしい。「ありがとう。」
「おふくろのイメージらしいよ、その色。」と涼矢が言った。
「そうなの?」
「え、ええ、まあ。店員さんに色を聞かれて、どう言えばいいか分からなくて困って、バリバリ仕事ができる、大人の女性って感じで、派手な赤より、落ちいている色が良いですって言ったら、それを勧められて……。」
「嬉しい、ありがとう。」佐江子は心から嬉しそうに笑った。「初めてよ、口紅のプレゼントなんて。」ともう一度言った。
「それ、さっきも言ってた。」と涼矢が口を挟んだ。
「何度でも言うよ、あなたはこんなことしてくれたことないんだから。」
和樹は慌てて言った。「お、俺も初めてです。今回、あの、うちの親にも化粧品買ったんですけど、今までプレゼントなんて、したことないです。たぶん、幼稚園で作った折り紙や似顔絵以来です。」
佐江子は懐かしそうな目をして和樹の言葉を聞いた。「そんなものよね。でも、本当に嬉しい。ありがとう。お母様もきっと喜ぶわ。」
「だといいですけど。」和樹は一歩後ずさった。「じゃあ、あの、すみません。夜中に。朝渡せばいいかとも思ったけど、バタバタしてたら、また忘れそうだったから。」
「大丈夫よ。いつもこのぐらいの時間は起きてるから。じゃあ、おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」
佐江子がパタンとドアを閉めるを見届けて、再び2人で二階に上がった。
「はあ、ミッション完了。」和樹がベッドに座る。涼矢もすぐに隣に座るかと思ったが、立ったままだ。「どうした?」
「別に……。パジャマが、ペアルックだなあと思っただけ。」
「え?」和樹は自分のスウェットを見る。
「色違いだから、それと、これ。」
「ああ。そうみたいだな。」ペアルックと言うには地味な、どこにでもある、無地のスウェット上下だ。それのグレーを涼矢が、紺を和樹が着ている。
「ついでにピアスもお揃いで。」2人とも、消毒する時以外は、入浴時も寝る時も基本的には外さないから、今もつけっぱなしだ。
「ああ、そうだな。」何が言いたい、と思いながら答える。
「そういうのって、おふくろにどう見えるのかなって。」
「どうって……。」
「いや、なんでもない。」そこで涼矢はようやく和樹の隣に腰掛けた。
「なんとも思わないんじゃない? 佐江子さんなら。仲良いね、ぐらいで。」
「そう、だよな。」
「気になるの? どう見られてるのか。」
「……そういうことだよな。そんなの、気にしてないつもりだったんだけど。特におふくろにはもうバレてるんだし、今更、なのに。」涼矢は髪をかきあげる。
「バレてるから、じゃない?」
「えっ。」
「バレてるから、気になるんだと思う。俺も、佐江子さんや兄貴の前に2人で立つほうが、何も知らない人の前に立つより緊張すると思う。この2人、つきあってるんだなあと思われながら見られるんだもん、そりゃ、緊張するでしょ。」
「そういうもんか。」
「そうだよ。俺だって今、変に意識しちゃって。なんかさ、突然プレゼントなんて、ご機嫌取りだと思われないかなあと思ったり。」
「ご機嫌取りじゃないの?」
「……まあ、そう言っちゃえばそうだけど。」
「難しいな、そういうの、自然に振る舞うっつうか。」
「まあな。でも、それって別に俺らが男同士だからじゃないよな。俺がたとえ涼矢が初めて連れてきた彼女だったとしても、ぎくしゃくするだろうし。」
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