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第412話 春を待つ (9)

「内緒にされんのが嫌なんだよ。」 「何でもかんでも言えばいいわけじゃないだろ。」 「おまえが!」声を荒げたのは和樹のほうだった。だが、すぐにそれに気付いて、穏やかな声で言い直す。「何でも言えばいいってもんじゃないって、おまえが言うのかよ。そっちが先だろ。おまえがハグしたとか言うから、こうなってんだろ。半端に秘密にするなら、最初から黙ってろよ。」 「秘密とか、そんなんじゃ。」 「じゃあ言えよ。ここまで来て、無理だろ。何もなかったことにできないだろ。」  涼矢は唇を噛みしめる。うっすらと血が滲むほどに。ようやくその両唇が開いたと思ったら、一気にまくしたてた。「そうだよ。あいつが俺んとこ来て、和樹が今やったみたいに、俺に乗っかって迫ってきたよ。キスされそうになってよけたら、それなら下だけで済ませるって言われたよ。押し返そうとしたら傷が見えて、はねのけるのが怖くなって、でも、あいつが、手ぇ出すのやめてくれなくて、結局力ずくでやめさせて、そしたらあいつ、泣きだして、泣いてるあいつをまた腕力で押さえつけて、絶対におまえとは寝たりしないって言って、もっと泣かせたよ。それで、なんでそんなことするんだって責めたら、あいつはそうしないと死にたくなるって言ったんだ。今までの、ひどいセックスだとか、暴力振るわれたこととか、そういうの思い出して、腕切ってた奴が、そう言って泣くんだ。」 「……それで、ハグ?」 「そうだよ。ちゃんと抱いてやれば……ただのハグじゃなくて、ちゃんと抱いてやったら、あいつにとってはもっと良かったのかもしれないけど、そんなこと、できるわけない。俺にはハグしか、そこまでのことしかできなかった。」涼矢はそこまで言うと、目を伏せた。「これでぜんぶだよ。おまえが聞きたがってた、本当のこと。俺が言わなかったこと。」 「言わなかったのは、哲のプライバシーのためか?」 「バカ言え。」 「俺のため? 俺が傷つくと思った? 哲に乗っかられて、迫られたって言ったら。」  涼矢は苛立たしげに「ああ、そうだよ。」と言い、髪をかき上げた。 「かわいそうだからハグしただけって言っておけば、俺が納得すると思った?」 「仕方ねえだろ。」涼矢は投げやりに言う。「他に言いようがなかったんだよ。おまえならもっとうまくやれただろうって思ったよ、けど。」 「俺の話してんじゃないよ、おまえの話してんの。おまえは哲に迫られたけど断った。そうだよな?」 「そうだよ。」 「断ったのは、俺がいるからだよな?」 「そりゃそうだろ。」 「俺とつきあってなかったら?」 「……は?」 「誰ともつきあってなかったら、哲の誘いに、乗った?」 「何の話だよ。」 「だから、おまえの話だよ。どうなんだよ。」 「そんな『もしもの話』をしたって、意味ねえだろ。」 「これは俺の興味本位だよ。どう答えたっていい。」 「……それってさ。つまり、俺が哲相手で勃つかってこと? 特定の恋人がいない時だったら、据え膳食ったかって?」 「もうちょっと品の良い言葉で考えてたけど、そうだよ。」  2人はしばらくの間、じっと見つめあったまま、黙っていた。もちろん、甘い目線の絡め合いなどではない。  先に口を開いたのは涼矢だった。「寝たと思う。」 「あいつのことを、恋愛感情として好きなわけじゃなくても、同情で抱けた? 同情すらしてなくても、そんな風に積極的に迫られれば抱いた?」 「ああ。」涼矢は表情を変えない。さっきからずっとだ。作り笑いも、怒りの威嚇もしていなかった。ただ淡々とそう言った。 「そっか。」和樹もそんな涼矢に感情を露わにすることはなかった。  和樹は、ふう、と息を吐いて、涼矢と壁の間に横たわった。壁側を向いて、つまり涼矢に背を向けた形で横になったが、体は「く」の字に曲げて、腰のあたりが涼矢にわざと触れるようにしているようだ。涼矢も横になった。和樹を、背中側からそっと抱いた。 「でも、和樹だけだよ。」 「うん。」胸の前にある涼矢の腕に、自分の手を重ねる。「俺だって、愛情なくても、抱けるよ。男だから。」和樹は壁のほうを向いたまま、独り言のように言った。「だからそれは、愛情の有る無しじゃないんだ。おまえが哲のこと、同情だけで抱けるとしても、それは当たり前のことだと思う。」 「でも、好きな人がいる時には、そんなことしない。」 「ああ。そんなことしない。おまえも、俺も。……だから、もう、いい。」 「え。」 「抱こうと思えば抱けた相手を、そうしなかった。俺のために。俺だって同じだよ。もし部屋に帰ったら、エミリが裸で待ってたって抱いたりしない。でも、エミリを抱けるかどうかで言ったら、抱けるよ。実際、そういうこと言われたし。」 「えっ、何だよそれ。聞いてない。」 「言ってないから。うちに転がり込んできた時にさ、初日だったかな、エミリの奴、涼矢には絶対内緒にするって言ったら、自分とHするか?って聞いてきた。」 「なっ……!」 「もちろん断った。冗談でもそういうこと言うなって言ったよ。けど、それね、実際そういうことしようって誘いじゃなかった。あいつさ、その時、男性不信になってたんだよ。例のストーカー男に、しつこくそういうこと迫られて、男はみんなそういうもんだって言われて、怖かったんだって。それで俺にカマかけた。本当に男ってのがそういうもんなのかって、試してたんだ。俺が断ったら安心したみたいで、男が全員そのストーカー男と同じじゃないんだねって。」和樹は180度回転して、涼矢の側を向いた。「でも、本気じゃなかったにしろ、誘われたのは本当だし。だから、おあいこなんだ。2人ともそういう誘惑はあった。やろうと思えばできた。けど、断った。だから、いいんだよ。」和樹は涼矢の首に腕を回して「俺もおまえだけだよ。」と言って、口づけた。「ごめんな。」

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