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第425話 brand new day(11)

「そんな我慢なんか」する必要ない。おまえがするわけない。そのどちらかに繋げてしまいそうになったところで、和樹はふいに冷静になった。今でこそ、こうして感情をぶつけてくる涼矢は、確かに我慢していたのだ。3年も。いや、付き合い出してからも最近まで。綾乃という呼び方にさえ嫉妬してたことすら、今、この瞬間まで言えずにいたのだ。「……何の話してたんだっけ。」  和樹が落ち着きを取り戻すと、涼矢も大人しくなった。 ――だから。  そのセリフから再開する。 ――ちょっとは俺の機嫌取れって。いつ会うのかどうかもおまえ1人で勝手に決めて、自分が会いたい時だけ呼び出すような、都合の良い女扱いはやめてくれって言ってんの。俺、東京では結構おまえに合わせたつもりなんだよ。それが嫌だったわけじゃないけど、おまえのほうにはそういう気持ちがないのかな、ってね。でもさ、こういうのって、言っちゃったら、これ以降、俺が言ったからそうするってなっちゃうじゃない? 違うんだよ、そういうのって、自発的なもんで。 「ああ。分かるよ。言ってること、分かる。すげえ分かる。」 ――ホントかよ。分かってねえから、そういう。」 「いや、分かる。今まで死ぬほど何回も言われてるからな。まあ、また元カノかよって話だけど、綾……川島さん以外もさ、つきあってきた女、全員からそんなようなことは言われてるよな。」 ――だから学習能力がないって。 「まあ、そういうことになるな。」 ――開き直るなよ。 「だから、今は分かるって。今、おまえに言われたから、分かった。よく分かった。今度こそ学習した。」 ――結局言っちゃったから。手遅れ。 「手遅れじゃないよ。だって今、理解したんだから。これからはちゃんとそういうの考えるよ。おまえに言われたからじゃなくて。」  涼矢は一瞬黙った。不快に感じたのではなく、呆気にとられたというのが正解だった。 ――相変わらず前向きだな。  笑い混じりにそう返す。 「前向きだよ。後ろ向いてる時間がもったいない。それにさ、そもそもおまえが最初にキレたのって、つまりおまえが俺に毎日でも会いたいからなんだろ? 悪い気するわけないじゃない。」 ――あ、今のは完全にムカついた。 「またキレんの?」 ――俺はさっきも今もキレてない。 「いやいや、怒ってないっつって怒ってたっしょ。」和樹がそう言うと、涼矢がまた気色ばむ空気が電話越しに伝わってきた。それを穏やかに制するように続ける。「俺も毎日でも会いたいと思ってるよ。」 ――今更。  おそらくはもっと強い語気で言うはずだった一言を、涼矢は小さな声で言った。 「そんなの当たり前のことで、だからわざわざ伝えなかった。確かにね、会いたいと思った時に、おまえの都合なんか考えないで呼び出すつもりだったよ。でも、おまえだって同じようにすると思った。無理なら、その時はその時で、お互い様だし、それでいいって思ってた。おまえもそう思ってるって、勝手に思い込んでたのは、悪かったよ。元カノたちが文句言ってたのもそういうことなんだと思う。けど、それでもね、思っちゃうんだよ。それってそんなに悪いこと? 自分と、自分の好きな人が同じ気持ちだって思い込むのって、そんなに責められるようなことなの?」  涼矢はなかなか返事をしなかった。 「まあ、いいや。別に言い合いしたいわけじゃない。とにかく、俺はおまえとできるだけ一緒にいたいよ。で、おまえもそう思ってくれてるなら、会おうよ。明日も明後日も。会ってよ。」  聞いている気配はした。けれど、やはり何も言わない涼矢だった。 「もう、会うの嫌んなった?」 ――……んなことな……。  消え入りそうな声で涼矢が言う。 「え? よく聞こえない。」 ――そんなことない。会いたいよ。 「ん。どこか行きたいところある? つってもな、地元じゃな、行くとこもねえよな。観たい映画でもある?」 ――考えとく。 「ああ。俺も何か探しとくわ。明日また適当に決め……あ、こういうのがダメなのか? 今のうちにもっと厳密に決めるべき?」 ――いや、そういうのはいいんだよ。 「難しいな。」 ――難しくは……。つか、ごめん。 「唐突になんだよ。」 ――俺も謝んなきゃって……。それは分かってんだけど、自分が何を謝ってるのか、うまく説明できない。 「じゃ、それも明日までの宿題な。あと、行きたいとこ。これは俺も考えとく。おまえんちとか言うかもしれないけど。」 ――うん。 「それじゃ、今日はこんなところで。おやすみ。」 ――おやすみ。  和樹は電話を切り、そのスマホを無意識にベッドに放った。一時は言い争いでカッとした。でも、今は冷静だ。ちゃんと言いたいことを言い合えたと思う。悪くない。これは前進だ。そう自分に言い聞かせた。けれど、スマホは放ってしまった。理屈で納得しても、感情が追いつかない。 「めんどくせえ奴。」そう呟いて、和樹はごろりとベッドに横たわった。

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