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第426話 brand new day(12)
悪かったと謝った。口先だけの謝罪のつもりはない。けれど、どこか腑に落ちない。――自分ひとりで勝手に決めて、涼矢の都合や気持ちを無視してるみたいに言われるけど、俺は初詣は2人きりで行こうって言った。実家より先に涼矢の家にも行った。それじゃだめなのか? 足りないのか? 明日の約束をしなかったら、それだけで、そういう俺の気持ちはなかったことにされてしまうのか? それが俺の身勝手と思うなら、何も提案しない涼矢だって同じか、もっとひどくないか?
一方の涼矢もまた、なかなか寝付けなかった。自分が何にあれほど苛立っていたのか、分からない。――明日の約束なんて、しなくてよかった。会いたければ電話でもメッセージでもすればいい。その通りだ。上京して初めての帰省なのに、真っ先に俺のところに来てくれた。初詣は2人で行こうって誘ってくれた。すごく嬉しかったはずなのに、どうしてそうと素直に言えないんだろう、俺は。つくづく面倒な性格をしてるよな。和樹だってそう思って呆れてる。それでも先に折れてくれるのは和樹だ。
翌朝、涼矢はドタドタと階段を駆け上がる音で目が覚めた。この家でそんな音を立てるのは佐江子しかいない。
「ちょっと、涼!」いきなりドアを開けないだけ、冷静さは残っているようだが、ドア越しの声は大きい。涼矢はのっそりと起き上がって、ドアを開けた。佐江子がふんぞりかえっている。涼矢より20cm以上小さいはずなのに、その存在感は大きい。「和室! 何してたんだか知らないけど、ちゃんと片付けなよ。」
「あ。」昨日アルバムを一緒に見て、それからあそこで和樹と。そして、そのままだ。
「何したっていいけど、後始末はしなさいよ。」文句を言いながら階段を下りる佐江子の後をついていく。
「こたつが懐かしいっつって、ごろごろしてただけだよ。」
「ごろごろしてただけで、こんななるの?」佐江子が襖を勢いよく開けると、天板も斜めになったこたつが目に入ってきた。アルバムは放置され、こたつ布団も座布団も乱れている。佐江子が気付いたか知らないが、祖父の写真は伏せられている。アルバムの入っていた戸棚のガラス戸は開けっぱなしだ。「ちゃんと片付けて。じゃ、私は行くから。」そう言って、佐江子は出勤していった。
佐江子には何か誤解されたままの気がするが、その誤解と事実との間に大差はない。「和室では」大したことはしなかっただけだ。涼矢は粛々と和室を片付けた。最後に伏せてあった祖父の写真を戻す。オールバックの、自分に似ているらしい、顔。孫がゲイなのは、女道楽で命まで落としたこの祖父の因業か。それとも。涼矢はその隣の叔父の写真に目をやる。あなたはどう思いますか、叔父さん。写真の中で優しく笑う叔父。――ああ、因業なんかじゃないですよね。和樹と結ばれることが、そんなものであるわけがないですよね。
そのままダイニングキッチンに行って、焼きもせず、バターもつけずに食パンを口に押し込む。麦茶で流し込む。食卓を共に囲む人がいないと、こんなぞんざいな食べ方しかする気が起きない。それでも食べただけいい。時計を見るとまだ9時前だ。佐江子に起こされたから通常の休日より早い起床となった。和樹に連絡するのにもまだ早過ぎるだろう。そう思った瞬間、スマホを部屋に置いてきたことに気づいた。取りに行こうと腰を浮かせて、またすぐ座った。まだ早過ぎる、自分でそう思ったばかりだ。でも、和樹の思い付いた行先によっては、早い段階で連絡が来るかもしれない。もしかしたらもう、何かメッセージでも入っているかもしれない。やっぱり取りに。また腰を浮かせ、また座り直す。さっきと同じ行動を繰り返す。こうして期待するから、何もなかった時にあいつのせいにしたくなる。俺が勝手にやきもきしているだけなのに、みっともない。
涼矢は湯を沸かし、丁寧にコーヒーを淹れた。東京でマスターに教わった「涼矢スペシャル」のレシピ。初めて和樹の部屋を訪問した夏、東京から帰ってきてすぐ、涼矢はそれをいつも豆を買っている店に持って行った。メモを読み上げているとコーヒー店の顔なじみの店員が、涼矢の手からメモを取り上げた。なるほど、と頷いて、一通りの豆を準備した。
「挽き方は聞いてない?」店員は、若い常連客の涼矢には敬語を使わない。
「うん。」涼矢もだ。涼矢にしてはこういった関係は珍しかった。
「たぶんこういうことだと思うんだよあ。」店員は独り言を呟きながら豆を挽き、袋に入れて涼矢に渡した。「これで試してみて。きみの好みに合わせてもらったんだろ、それ? 挽き方もそれに合わせたつもりなんだけど、違ったら再調整するから。」
コーヒーの最後の一滴がカップに滴った時、そんな会話をしたことを思い出していた。
こんな時は、あのマスターや、コーヒー豆屋の顔なじみの店員のほうが、よほど自分のことを理解してくれているような気がしてしまう。
――また悪い癖だ。手に入れるとすぐいい気になって、もっともっと、あれもこれもと欲しがりだす。
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