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第427話 brand new day(13)

 その後、少し挽き方を変えてもらった。初回の挽き方も美味しいには美味しかったが、東京で飲んだ喫茶店のとは違う気がしたからだ。もっとも、店はネルドリップ、家ではペーパーフィルターといった違いもあったし、淹れ方そのものもマスターと自分とでは技術が違うのだろうし、豆の種類や煎り具合もメモにない細かなところでは違うのだろう。でも、その中で変え易いものといったら挽き方だったから、まずはそれを修正してみようと思ったのだった。ただ、その「違い」をどう表現していいか分からなくて、「もっと酸味は抑えられていた感じ」「香りは強かった気がする」程度に伝えた。  そうして店員と試行錯誤して、今飲んでいるのはバージョン3の豆だ。かなり店の味に近づいた気はしているが、元の味の記憶もどんどん曖昧になっているから、記憶と勘を頼りに調整できるのはこれが限界だろう。それでちょうどいいと思っている。東京に行った時に「そうだ、この味だ、やっぱり店の味は違うなあ」と感動できるからだ。 ――試行錯誤して、いいんだよな。  コーヒーを飲みながら、その味を和樹との関係に重ねあわせた。最後まで飲み干して、ようやく2階の自室に戻り、スマホをチェックした。何もメッセージはなかった。落胆はしない。和樹からの連絡を待たずに、自分から送った。 [おはよう][今日、行きたいところ思い付いたんだけど]  返事はすぐに来た。 [どこ?][あ、おはよ][俺も観たい映画あった][でも映画は明日までやってるから明日でもいい] [時間あるから映画も行こう][俺の行きたいとこって][プラネタリウムだから][科学館の年内の営業、今日までだって] [おー][プラネタリウム][そっち先行く?] [いや映画先][映画見て][昼飯食べて][プラネタリウム][以上俺の希望] [(笑)] [11時に] [駅に待ち合わせな(笑)] [そう] [車じゃなくて電車とバスな?(笑)] [うん] [昼飯はパスタか?] [あの店やってたらね] [俺が見たいの、インド映画じゃないよ(笑)] [惜しい(笑)]  じゃあまた後で、と送り合い、やりとりを終えた。和樹からのスマイルマークが多用されたメッセージをもう一度眺める。  初デートを辿る旅が、始まった。  駅で落ち合い、電車に乗り、シネコンに行った。和樹が観たいと言っていたSF映画を観る。和樹は映画館が暗くなったと同時に手を握ってきた。涼矢も握り返して、そのまま最後まで観た。エンドロールが流れ始めると涼矢からその手を離した。そのことには触れないまま、今度は科学館方面へと移動する。 「あれっ。」パスタ店の場所まで来て、和樹は驚きの声を上げた。涼矢にもその理由は分かる。イタリアンの店は、インドカレーの店に変わっていた。「映画がインドじゃなかったと思ったら、こっちか。」  和樹の言葉に涼矢は吹き出した。 「どうする? おまえ、辛いの苦手だよな。」和樹は他に店はないかとあたりを見回すが、これといった飲食店はなさそうだ。科学館の中に軽食喫茶があるが、役所の食堂のような雰囲気でデート向きではなく、大して美味しくもないことを知っている。 「辛くないのもあるだろ。いいよ、ここで。」涼矢はそう言い、ドアを開けた。  室内のインテリアは様変わりしているが、厨房や大きな柱の位置、客席の配置は変わらない。偶然にも、前回イタリアンレストランだった頃に通された席と同じ席になった。  メニューを見ると、カレーはベリーホットからベリーマイルドまで5段階で調節してもらえるようだ。その中でももっとも辛くなさそうなバターチキンカレーを涼矢が、キーマカレーのホットを和樹が注文した。 「ベリーマイルドにしなくていいの?」冷やかすような口調で和樹が言う。 「言ったろ。ピリ辛程度なら好きだって。バターチキンは大体どの店でも大して辛くないから。」涼矢は辛さ調節のオーダーはしていなかった。 「懐かしいね。この店じゃなかったけど。」和樹は自分で振ったカレーの辛さについての話題を一方的にやめて、店内を見渡した。 「この席だった。」 「うん。おまえがそっちで俺がこっちなのも一緒。」 「覚えてるんだ?」 「覚えてるよ。おまえがパンめっちゃいっぱい食ってたのも。あ、ここもランチはナン食べ放題だって。」 「ナンはそんなに要らないよ。」 「……おまえが大食いだってことも、その時まで知らなかったな。気が付かなかった、って言うか。」 「まあね、部活帰りにラーメン屋とか行った時には、みんなと同じもの、同じぐらい食うようにしてたから。」 「そうなんだ?」 「目立つの嫌だったし。」 「ああ、そうか。」 「……だから、和樹が気が付かなかったんじゃないよ。俺が、そうしてた。」  その時、注文のカレーがやってきた。ナンは巨大で、お替わりなど必要なさそうだ。  ナンをちぎってカレーを付けながら、和樹が言う。「あん時はおまえ、自分がゲイかどうか分からないって言ってたよな。」 「だって、引くでしょ。いきなり本当のこと言われたら。俺は根っからのゲイで、入学式からずっとストーカーしてました、なんて。」 「そんな言い方するなよ。ずっと好きでいてくれたんだろ。」

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