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第428話 brand new day(14)
涼矢は口に運びかけたナンを、プレートに戻した。「和樹。」
「ん?」
「昨日は、ごめん。」
「宿題?」
「そう、宿題。和樹に甘え過ぎた。」
「また分かりづらい甘え方を。」和樹は笑う。
「おまえの言う通りで。会いたきゃ連絡すればいい。おまえだって久しぶりに帰ってきて、家族との時間だって大事だろうし、あと、なんていうのかな、名前のつかない時間てあるだろう?」
「名前のつかない?」
「実家に帰ってきたら、やっぱり、ホッとするだろ? 俺に会うとか、友達に会うとか、部屋の模様替えするとか、そういう何かをする、っていうんじゃなくて、ぼーっとする時間も欲しいんじゃないかなって。」
「そうでもないよ。俺、ぼーっとするより、何かしていたいほうだし。第一、普段一人暮らしだもん、毎日好き勝手してるよ。」
「そう?」
「うん。おまえはそういう、1人の時間、大事にしそうだけどな。」
「……そう、だね。うん、俺はそうかも。」涼矢は神妙な顔で頷いた。
「ほら、そうやってさ。結局、自分がそうだから相手もそうだろうって、思っちゃうだろ? そういうもんなんだよ。昨日の俺だって。」
「うん。」涼矢は水を飲む。「昨日のは、反省した。それと、やっぱおまえはすごいなって思った。」
「何がすごいって?」和樹は笑い、再びカレーを食べ始める。
「あんなの、俺のわがままだったのに。せっかくこっちに帰ってきたのに、初詣だって誘ってもらってんのに、いちゃもんつけて。」
「まったくだよ。」軽い調子で言う。
「挙句、先に謝らせた。それから、川島さんのことも。」
「ん? 綾……川島さん?」
「それだよ。呼び名なんかどうだって良いのに。そんなことまで文句つけて。いいよ、今まで通り名前で呼べば。そのほうが言い易いんだろ?」
「おまえが嫌なことはしない。」
「いいよ。もう気にしない。」
「でも、気になるんだろ?」
「和樹だってさ、言ってくれたよな。俺の……好きだった人のこと、大切に思っててほしいって。だから俺もそうする。気になるけど、そのおかげで今の和樹がいるんだって思うようにする。努力する。」
「そんな決死の覚悟で努力しなくてもいいよ。」和樹は苦笑した。「それよりさ、さっさとそれ食えよ。さっきからあっちのインド人、まずいのかなって心配そうな顔して見てるぞ。」
「パキスタンの人かも。バングラデシュ人とか。」
「そういうのはいいから。」
涼矢もカレーを食べるのを再開した。そしてすぐ、またその手を止める。「あ、でも、本当に、川島さんの名前は、今まで通りの呼び方でいいから。そうじゃないと、逆にまた気になる。」
「わかったわかった。つか、そもそも元カノのことなんか話題にしなきゃいいんだろ。」
「そ。」
「ま、ここも様変わりしたしね。これで元カノと来たことのある店、じゃなくなった。」
涼矢は目を見開いた。「そっか。そうだな。」それからはにかんだように笑った。
2人は残りのカレーを黙々と食べた。涼矢の死角に立っていた店員も安堵したように笑ったのが、和樹の席からは見えた。
プラネタリウムは科学館の中にある。科学館は混雑していた。年の瀬も押し迫った平日。こどもは冬休みだが、会社勤めなら大半はまだ仕事納めというわけには行かない、12月27日。小さな子を抱えた母親が遊び場所に困って、高校生や大学生ならデートコースとして、近場の暖かな館内施設であるここを目指して、やってくる。
プラネタリウムには定員があるから、少し早めに行ってみたら、ちょうど最後の2人として入場できた。すぐ後ろに続こうとしていた親子連れに気付いた和樹が譲ろうとしたら、こどもが3人もいて、せっかくだが譲ってもらっても席が足りないからと、丁重に辞退された。
席に着きながら「あの人、1人で3人の面倒見んのか。すげえなぁ。」と和樹が言う。
「それに気づくおまえもすげえよ。俺、後ろに人が並んでるって、全然気がつかなかった。」
「だって、抱っこされてたチビッコ、俺の背中んとこ何度も蹴ってたもん。」
「マジか。お母さん注意しないの。」
「それどころじゃなかったんだよ。上2人が喧嘩始めて。」
「そうだった?」
「うん。」
「おまえがすげえっつか、俺はなんで気づかないんだろ。真後ろで喧嘩してて。」
「騒いでなかったからな。たぶんだけど、上2人、耳に障害があって、声も出せないのか出しづらいのか、そういう子たちなんだ。手話でずっと会話してた。けど、途中から明らかに怒った顔してたし、お母さんもやめなさい、みたいなジェスチャーしてた。たぶん、それも手話。」
「へえ。」
そんな会話をしていると、当の親子連れが入ってきた。一般席と少しずれた席に通されているようだ。障害者用のスペースなのかもしれない。
「あの子たちも入れたみたい。良かったな」と涼矢が言うと、和樹も嬉しそうにうん、と答えた。
ドーム天井に夕焼けが映し出された。やがて日は沈み、夜空に変わっていく。和樹がまた涼矢の手を握ってきた。お互いの指を組み合う「恋人つなぎ」をする。リクライニングシートの角度で和樹をそっと窺い見ると、和樹もこっちを見ていた。徐々に暗くなったから目も慣れていて、この暗がりでもそのぐらいは分かる。ただ、細かい表情までは見えない。でも、微笑んでいるに違いない、と思った。
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