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第430話 brand new day(16)

「あ、兄貴もいるかも。俺が起きた時にはもういなかったけど、今日から休みだって言ってた。」 「それなら、おまえ1人で帰れよ。家族水入らずってやつじゃないの。」  和樹はわざとらしくため息をつき、涼矢を睨む。「どうして君はそうやって俺を1人にしたがるのかな? 30日も1人で行けとか言うし。」 「俺がいたら邪魔かもって。」 「おまえがいないほうがいい時なんか、トイレでウンコする時ぐらいだっつの。」 「ウンコじゃなきゃいいんだ?」 「君は何を言ってるのかな?」 「和樹の愛を確かめてる。」 「トイレで愛情を測るな。」 「なら、何で測ればいいのかなぁ。」  そんな会話をしながら、科学館を出た。 「涼矢くん。愛というものはね、測るものではないのだよ。与えるものなのだよ。」大仰な手振りを交えて、和樹が言った。 「すっげえ名言ぽく言ってるけど、本心か、それ?」そう口にしつつも、「愛は与えるもの」という和樹の言葉は、和樹に関しては、正しい気がした。 「本心でもあり。そうでもなかったり。」2人は帰りのバスの停留所に並ぶ。「で、どうする? うち来る?」  涼矢は数秒考えた。宏樹に誘われて、和樹のいない都倉家を訪れたことはある。不快ではなかったけれど、やはり気後れする。「やっぱ……遠慮しとく。」 「俺いなくても俺んち来てたんだろ? 遠慮することない。」 「おまえがいないほうがマシだ。」  バスが到着して、乗り込む。空いていたから、並んで座った。座って早々、和樹が「ひでえ。」と呟き、「俺抜きで、俺んち来るほうがいいの?」と聞き返した。 「そのほうがいいっていうか……俺一人なら適当な嘘もつけるけど、おまえがいると。」 「嘘、つけない?」 「うん、まあ。」 「嘘つく必要ない。」涼矢は和樹の横顔を見る。軽い調子で笑っているかと思えば、案外と真面目な表情をしていたから、涼矢のほうが戸惑った。  沈黙が続いた。  やがて、和樹はうんと深く前にうなだれて、そこからまた背筋を伸ばした。「あのさ。」 「ん?」 「ほんっとうに悪いと思ってる。自分でも何がそんなに怖いのか分かんない。けど、俺、まだ親に言う勇気がない。気持ちの整理、つけられてなくて。でも、今じゃないと思うんだ。もっと良いタイミングがあると思ってる。今、焦って言うより、もっと、ちゃんとした時期っていうか。」 「うん。」 「先伸ばしにしてるつもりないから。」 「分かってるよ。」 「ごめん。」 「謝んないで、そういうの。逆にキツい。俺のせいで困らせてるって思っちゃう。」 「ごめん。」 「だから、ごめんは。」 「あ……。うん。」  やがてバスが和樹たちの家の近くまで来た。和樹の家に行くなら駅前の停留所で降りる。涼矢の家ならそのいくつか先の停留所まで乗っていくほうが近い。 「どうする?」と和樹が言う。  おまえのいいほうでいいよ、と言いたいところだが、そういう依存的な態度を責任転嫁だと責めたばかりだ。「和樹んち、行こうかな。」と涼矢は言った。正直、佐江子不在の自分の家のほうが気楽だけれど、よりハードルの高いほうを選ぶことが和樹を喜ばせる気がした。  和樹の家には、やはり恵がいて、そして宏樹はまだ帰宅していなかった。 「あら、いらっしゃい。」と恵は愛想よく迎え入れつつ、小声で「だったらケーキぐらい買っておいたのに。」と和樹に耳打ちした。 「お邪魔します。」 「昨日は和樹がお世話になったんでしょ。」 「え。」どう説明しているのか分からず、言葉が続かない。 「そ、柳瀬とかね、クラスの奴と一緒にね。こいつんち豪邸だから雑魚寝でも広々だよ。」と和樹が言った。涼矢は、和樹が家族にどんな説明をしているのかを察する。 「豪邸ってことはないけど。」とだけ言う。  2人して和樹の部屋に向かう背中に向かって、恵が「本当に仲良いのねえ。」と呟いたのを、2人とも聞き逃さなかった。  パタン、と和樹の部屋のドアを後ろ手に閉めたのは涼矢だった。そこに鍵などついていないのに、無意識にロックしようとしてしまう。そのドアに涼矢を押し付けるようにして、和樹がキスをしてきた。 「仲良しだってさ。」と和樹が笑った。 「仲良し、でしょ?」と涼矢も笑い、くすぐるようなキスを繰り返す。 「こういう仲良し?」和樹は両手で包み込むように涼矢の顔に手を当てて固定して、もう少し濃厚なキスをする。 「だめ?」 「いいんじゃね?」 「でも、無理。これ以上したら、止まんない。」涼矢は和樹の両肩をつかんで、引き剥がした。 「止めなきゃいいだろ。」和樹の手が涼矢の腰に回される。 「馬鹿、すぐそこにお母さんいる。」 「キスだけ。」和樹がまた口づけてくる。 「だめだって。」涼矢は顔を背けた。その口元を、和樹は手で挟んで、自分のほうに向き直らせる。「おい、和樹。やめ」 「シーッ。」もう片方の手の指を立てて、和樹は悪戯っぽく笑った。「ママに聞こえちゃう。」 「ふざけんな。」低い小声で涼矢は言った。口元を歪ませられているから、「ふじゃへんな」に近い発音だ。和樹はその手を離し、自分のベッドに行き、腰掛けた。ドア近くに立ったままの涼矢を手招きする。だが、涼矢は和樹の示した、和樹の隣のスペースには座らずに、学習机の椅子に座った。椅子はキイと軋む音がした。だいぶ年季が入っていそうだ。

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