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第432話 brand new day(18)
「この椅子も兄貴のお古なんだよな。相当ガタが来てる。」和樹はやっと涼矢の顔を押さえていた手を外し、ベッドの端に座りなおした。「なあ、アルバムは後でいいだろ?」
「で?」
「こっち来いよ。」
「買い物だろ。すぐ帰ってくるんじゃないの。」そう言いつつも、涼矢は和樹の前に立つ。
「たぶんね。」
「それでどうしろと?」涼矢は和樹の足の間に、片膝を入れる。
「どうしよっか?」和樹は涼矢の首に手を回す。
「中途半端なのは嫌だから。」
「するなら最後までしたいと。」
「そりゃそうだ。……でも、無理だろ。」
「じゃあさ、泊まってけよ?」
「ここに?」涼矢はチラリと背後を見る。季節外れの家電とアウトドア用品らしきものが積んである。
「前の時みたいに兄貴と部屋交換すればいい。」
「宏樹さんに会ったら、俺どういう顔すればいいんだよ。」
「俺抜きで会ってるだろ? 仲良しじゃない?」
「だから、和樹抜きのほうが誤魔化しが効くんだよ。けど、そんなのは……いかにもセックスしたいから部屋貸してって言ってるみたいで。」
「改めて言葉にすると最低だな。」
「最低だろ。」
「えー、でも、したいんですけど。」和樹は涼矢の胸元に顔を埋めた。
「発情期か。」
「ん。」和樹は涼矢になつくように顔をこすりつけた。
「困ったな。」涼矢はそんな和樹の頭を、更に自分に密着させるように抱き寄せた。
「涼矢くん。」涼矢の腕の中で、和樹が言う。
「何?」
「大好き。」
「おまえ、酔ってんのかよ。」
「かもね。」和樹は涼矢の腕から抜け出して、涼矢を見上げる。「東京に連れて帰りたい。」
「和樹の帰る先は、もう、東京になっちゃったんだな。」涼矢は少し淋しげに微笑んで、和樹の額にキスをする。
「東京のほうが、おまえとずっと、2人でいられる。」和樹は涼矢の指に自分の指を絡ませた。「俺が帰る先は、おまえと一緒にいられるところだよ。」
「ああ、もう。」涼矢は苛立たし気に髪をかきあげた。「泊まってくよ。泊まればいいんだろ。」
「なんでキレてんの。」
「和樹が急に変なこと言うから。」涼矢はベッドに乗り上げていた片足を戻し、また、元の椅子に戻った。
「変なことなんか。」
「好きだの、したいだの、泊まっていけだの、大安売りしすぎだ。処理しきれねえよ。」涼矢は真っ赤な顔をして、和樹のほうを見ない。果ては、体の向きまで変えて、さっきのアルバムを再び開いた。
和樹もまた、その脇に立つ。「これは幼稚園の入園式かな。」パステルカラーのスーツを着た恵と、はにかんで笑う幼い和樹が、幼稚園の門らしきところに立っている。
「お母さん、美人。」
「若いよね、さすがに。今はおばちゃんだけど。」
「今でもきれいだよ。全然おばさんくさくない。授業参観とか、自慢できたんじゃない?」
「そんなことねえよ。……まあ、大して仲良くないのに、やたらうちに遊びに来たがったりする奴は時々いたけど。」
「やっぱり。」
「でも、小学校の頃は兄貴が人気だったよ。勉強もスポーツもできたし、小さい子に優しいからさ。自慢の兄貴だったけど、その分、比較されるのは嫌だったかな。だから、柔道やラグビーや……兄貴がやってるスポーツは避けて、水泳を選んだ。」
「仲良くてもそういうことがあるんだな。」
「うん。兄貴は言わないよ? けど、周りがね。兄貴は優秀なのに、弟はそうでもないね、みたいな、さ。親も含めてね。おふくろは兄弟で比較したことなんかないって言うけど、やっぱり、あったよ、そういう雰囲気。」
「そっか。」
「そういう理由もあって、家を出た。つっても、その東京暮らしだって、兄貴が金稼いで、兄貴が親を説得してくれたおかげでできてるんだから、しょうがねえよな、まったく。情けない。ちったぁ頑張らねえとなあ。」
涼矢は和樹を見上げた。もう赤面はしていない。「和樹は、頑張ってるよ。頑張ってるし、何でもできる。」
「そんなこと、そんな真面目な顔で言うなよ。」今度は和樹が赤くなる。
「早く一緒に暮らしたいね。2人で稼いで、いいとこ住んで。それで、親でも兄弟でも招待してさ、東京の夜景でも見せて、自慢しよう。俺らすごいだろ、って。」そして、もう誰にも、兄と比べたら弟はいまいちだなんて、言わせない。
「珍しい、涼矢がそんな、夢物語みたいなこと言うなんて。」
「夢じゃない。」涼矢は笑みを浮かべる。「和樹とつきあえるなんて、夢だった。それがかなうなら、都心の高級マンションに住むなんて夢でもなんでもない。現実だよ。リアル。」
「おまえが言うと説得力あるな。」アルバムはいつの間にか最後のページになっていた。小学校の入学式。この頃は、自分が望めば何にでもなれると思っていた。特撮ヒーローでも、忍者でも、宇宙飛行士でも、オリンピック選手でも。確かに、涼矢と一緒に都心のマンションに暮らすことは、それらの夢よりずっとリアルに近い。
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