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イチ。偽装恋愛②
「……でも、俺、姉さんの婚約者に押し倒されて……もう俺が誘惑したってことになってしまってて、帰る場所がないんだ」
姉さんが泣く姿だけは想像したくない。
それがしかも、俺のせいだとしたら死んでしまいたくなる。
一番女の子として楽しむはずの時間に俺の学費を稼いでいて、――やっと幸せになれると思った矢先に俺が結婚を駄目にするわけにはいかない。
「俺、何でもしますっ だから、俺に、俺にしてくれませんか」
ついついとスーツの裾を握って、怖いけど泣きそうだけど必死で見上げた。
デートするのも怖かったけど、ノンケで俺に欲情しないなら好都合だ。
「俺は、夏目さんがいい。夏目さんみたいな見た目が怖い男の人が、怖くなくなれば他の人なんて簡単に克服できる気がするんだ」
「怖い見た目は悪かったな」
ふうと大きくため息を吐くと、珈琲をテーブルに置く。
「……色々お前に話さないといけないことがあるが、じゃあ、俺の隣に来い」
彼はソファにドカッと深く座ると、足を組み、顎で横を促した。
おずおずと隣に座ると、『ちがう』と言われる。
「恋人のふりをするんだ。……どう座るのが正解か?」
「え、え!?」
遠目に見ても、恋人っぽく振舞うんだ。
こ、こうかな。
恐る恐る俺は、夏目さんと向い合せになるように、膝の上に座った。
すごい……。男の俺でも受け止めてくれるほど大きいな、この人。
「お前、本当に男が怖いのか?」
「こ、怖いです」
「俺の上に乗るのはやりずぎだ。隣に座れって言ってろ。退け」
「隣に座るってこうですか?」
ちょこんと座ると首を振る。
「密着して、首でもこてんと俺に預けろ」
「な……なるほど」
女みたいに夏目さんに甘えたらいいのか。
こてんと頭を預けると、丁度肩の部分だった。
男の人の肩ってやっぱぜんぜん柔らかくない。硬い……。
姉ちゃんと違い過ぎてちょっとびっくりした。
そんなもんなのかな。
「どうでしょうか……」
「むさ苦しい相手じゃねえし、これぐらいならギリ我慢できる」
そう言うと、俺の肩に手を回し、更にもう一つの手で俺の顎を持ち上げた。
切れ長の漆黒の瞳。吸い込まれそうな黒い瞳に、息が吸えなくなる。
でも、義兄さんみたいな……ぞわわっと浮かび上がる嫌悪感はない。
無いけれど、支配されそうなきつい空気に、喉が鳴った。
「……お前は、隙がありすぎるな」
「え、おれ?」
「そんなに見つめ返されたら、キスしてほしいのか迷う。一瞬ヤバい道に行くかと思った」
「キス!?」
パッと離されて、夏目さんは胸ポケットから煙草を取り出すと火を付けて口に咥えた。
そのスマートな仕草が、俺とは違う大人って感じの経験の差が伝わってくる。
「自分でも気づかない内に、姉さんとやらの婚約者を誘ってたんじゃねえかな」
「--はあ?」
フッと夏目さんは鼻で笑った。冗談のつもりだったんだろうけど、馬鹿にされた気がして俺は立ち上がった。
「やっぱ俺できないです。吾妻、呼びます」
「は?」
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