44 / 115

サン! 変化⑮

「誰って、この人は俺の大事なお客だよ?」 吾妻がそう言っているのが聞こえて、震える声が、身体が、足が、怒りでカッと熱くなった。 「本当か?」 夏目さんが低く唸るように吐き捨てる。 「本当か? 御手洗 涼」 「ひっ、な、んで俺の名前を」 『聖君ってあかりより、――可愛いよね』 「うわあああああああ!」 耳を押さえて、暴れて身体を転ばして、それで記憶が消えるなら、この身体を痛めても良い。耳をずっと押さえていてもいい。 でも、消えないんだ。 ねっとりした感触が。 押さえつけられる、恐怖が。 でも。 「お前えええっ」 車から飛び出した俺は、転がるように夏目さん達の方へ向かった。 「聖?」 吾妻が俺と夏目さんとラブホを交互に見た後、ぽかんとする。 その吾妻の横で、虫も殺せそうにない垂れ目でおっとりした男の人が青ざめて立ちつくしていた。 「ど、どーゆうこと? 聖、顔真っ青だけど、大丈夫か?」 「大丈夫じゃねえ! 信じられねえ。――許せねえ!」 ガクガクと膝が震えて崩れ落ちる。 今すぐ、さっき食べたステーキを吐きだしてしまいそうに気分も最悪だった。 「許せねええ! 姉ちゃんが居るのに、姉ちゃんはお前が好きなのに!」 「……は?」 吾妻の顔が青ざめた後、能面のように無表情になった。 「……へえ、リョウさんが聖を強姦しようとしたウンコ野郎なんだ」 「ち、ちがっ 俺はそんな」 「違わないよね? ゲイだから俺とラブホに来たんだよね? 立たなかったから本番はしてないけど、あんた、ゲイだって言ってたよね?」 「ふざけるなよ! 姉ちゃんが! 姉ちゃんがかわいそうだ!」 高校を卒業してから、ずっと俺の為に働いてくれていた姉ちゃん。 口はうるさいし、ガミガミ厳しいけれど、いっつも笑顔で俺の事育ててくれた姉ちゃん。 おっとりしてるけど、爽やかに笑うこの人にアプローチされて、姉ちゃんは――。 「姉ちゃんはお前が、会社社長の息子だからって遠慮したり、俺が居るって断ってたのに、お前が何度も諦めずにアプローチしたって、嬉しそうに言ってた! 幸せそうだったのに! だから」 だから、俺が居なくなる方が良いって思ってたのに。 あの日から、1年以上経っているような、昨日の事の様な、ぐるぐるした気持ち悪い空気の中で、吐き気をこらえながら顔を上げた。 ようやく、俺の目に映ったその人の顔は、どこにでもいるような、ちょっと優しくて頼りなさげな普通の男の人だった。 こんな、糞野郎を怖かったのかと思うと、自分が本当に悔しい。 殴ってやりたいのに、震える。まだ、声も出ないほど怖い。 こんな、糞野郎なのに。 おっとりしたこの人の、欲情した時の顔に、覆いかぶされる恐怖が拭えない。 「俺と姉ちゃんの前から消えろよ! クソ野郎!」 ボロボロと涙がこみ上げてくる。 悔しい。殴りたい。吐きそう。許せない。怖い。 殺してやりたい。 「聖」 吾妻が俺を抱きしめてくれて、大きく震えていた俺の身体を包み込んだ。 「吾妻っ」 吾妻の胸に飛び込んだ俺は、ぶっ飛ばされたて身体が地面に打ち付けられた音に顔を上げる。

ともだちにシェアしよう!