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ヨン……別れ、距離①
怖いと思えるのは、今までの生活が温かくて、俺を見下ろすギラギラした瞳の奥の気持ちを知らなかったから。
俺が知っていた世界はとても小さい。
それで、きっと。
夏目さんが生きている世界は辛いことばかりだったはずなのに、感じさせないぐらい強く生きている。
何も努力していない俺は、彼の隣にいられない。
「社長、聖君をお連れしました」
「ああ。さんきゅ」
部屋に入った瞬間、もわっと広がったのはアルコールの匂い。
お酒を飲んだのかソファに座っている夏目さんは上を向いてぐったりしていたが、すぐに立ち上がった。
カフェから夏目さんが出て行ったあとに、少しだけ時間をずらして遠回りして帰った。
でも一時間も時間はずれていないはずなのに、このアルコールの匂いはかなり強い酒を飲んでいたのではないかと思った。
暖房が入った部屋の中、色濃く漂うお酒の匂いに、式部さんは露骨に嫌な顔をしたけれど、頭を下げると部屋から出て行った。
「……夏目さん、俺、今朝」
「ああ。大丈夫だ。心配すんな」
分かってる。
夏目さんは優しい子守唄の様な口調で俺に言うと、笑った。
「メシ、食うか?」
「うん。お腹減った」
鞄をソファに投げたけれど、怒らなかった。
立ち上がった夏目さんは、酔った気配もなく、冷蔵庫まで歩いて行く。
「適当に買ってきたんだ。肉ばっかだけど」
「いいよ。俺、肉嫌いじゃないし」
隣に立って冷蔵庫を覗こうとすると、手を掴まれた。
顔を上げて夏目さんを見上げると、長袖の中にじりじりと夏目さんの指が入ってくる。
お酒で体温が上がっている夏目さんの指先は温かかった。
「手、洗って来い。袖を捲ってやろう」
「ぷ。なんだよ。子どもじゃないんだから」
それでも俺は抵抗しないで、夏目さんの服の袖を捲ってもらった。
ぴりっと肌と肌で感じた緊張感。
知らない、今までとは違う距離感に、お互い気付いていた。
どちらから切りだすのが、傷つかないのだろう。
そう考えたら、俺が言わなくちゃいけないと悟った。
「あのさ、夏目――」
洗面所に向かった俺は身体を捻って夏目さんの方を剥こうとした瞬間、バッと手が伸びて口を覆われた。
――何も喋るな。
そう言いたげに乱暴に、口を覆った手を、かぷっと小さく噛む。
すると、ハッとした様子で手が離された。
「すまん。何か言われるかと思うと、聞きたくなかった」
小さな弱音。
小さく吐かれた夏目さんの弱気な本音は、俺と全く同じ気持ちだった。
「……部屋を換気した方が良いよって言おうとしただけ。でも」
夏目さんを噛んだ唇を、なぞって胸が締めつけられた。
「夏目さんの指、苦かった。一緒に手、洗う?」
「……ああ」
伸ばされた死刑。
誤魔化された判決は、たったの数分かもしれない、数時間かもしれない。
それでも、最後まで夏目さんへの感謝は変わらない。
「肉にはライス。ガーリックライスを作ってやるぞ」
「夏目さん」
「あ?」
「俺、明日の朝、出て行きます」
出て行ってくれと言われる前に出て行こうと思った。
「暇さんに聞きました。だから、夏目さんが言いにくそうなら言います。出て行くって」
にっこり笑うと、夏目さんが眉を顰める。
「行く当ては?」
「姉ちゃんとこ戻る。克服させてみせるよ」
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